毀誉褒貶
2011年 09月 13日
ただしかし、かの勝海舟が福沢諭吉の批判に対して「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せずと存候」と、つまり何をするかしないかは私の問題、其れを褒めたりけなしたりするのは他人の主張、私には関係の無い話だ・・・と吐き捨てた如く、実は褒められようがけなされようが大差は無いのである。
それも若い時なら褒められたり貶されたりが結婚に影響したり出世に影響することもあろうが、私の年になると、そのことが本当に大差ないことが解ってくる。
褒める貶すは他人の問題である。
一喜一憂するは私の問題である。
其れを常に関連づけているのは人間が青いのである。
私はだから、褒める類いの話を聞いた時には、その話にしっかり耳を傾け、逆に貶す類いの話を聞いた時には「我に与(あず)からず 我に関せずと存候」である。
私は残りの人生を笑って過ごしたいのである。
それでも尚、褒める言葉にのみに耳を貸し、貶す言葉を無視するのは勝手すぎないか‥などと、優等生的な四角四面の反論をする人が在るかもしれないが、100歩譲って其れを認めるとしても、其れは若い世代に聞かせておけば良い。
いずれにしろ、真の喜びor真に憂えなければならない事は‥他人という基本的に無責任な面々の主張の中にあるので無い事だけは確かである。
経営者は経営上、褒められんがための
文章を書くようになるのではないか?
すると褒められんがためのコラムは
当然、つまらないものになってしまうと
思うんです。
つまらなくても経営者の書いたものだから
あからさまに貶されないということを含めて
毀誉褒貶に不公平が生じると思うのです。
ぎゃはは・・・!!(^Q^)/^
成長段階の乙女は人の忠告に耳を傾けなければ成りません(^_-)-☆