多くの人が知る「泣いて馬謖を斬る」という言葉がある。
その由来は、諸葛孔明が魏と戦った際、親友の弟で尚且つ腹心の部下だった馬謖が命令に背き、その結果、大敗を喫した。
この処分として、孔明は軍法に従い、涙を流して馬謖を斬罪にしたという話である。
戦火の絶えなかった時代は、この厳しさが無ければとても自国を守る事が叶わなかったのだと受け止めれば大筋で間違いは無かろう。
昨今北朝鮮の問題で事情は一変しつつあるのかも知れないが、日本は長く「平和ぼけ」と揶揄され、或いは自嘲気味にそう言わざるを得ない時期を過ごしてきた。
其れだからでもあるまいが、何事か物事を進めるときに、甘い甘すぎる判断を善人ぶってする輩がある。
「泣いて馬謖を斬る」の「斬る」方にのみ焦点を当てて、其れは良くないと善人ぶって、その上何事か賢しらを言うのである。
彼は「泣いて」という点に焦点を当てようとしない。
泣いて、しかし多くが生き残るためには、如何に近しい人間であっても軍法に従う、というところが尊いのだなどと云う発想はない。
彼は刺激的決断を避けているだけの事で、其れによって事態がどの方向に進むかなどと云う事にはとんと興味が無いのである。
なぜなら、どこへ進もうとも「平和が約束されている」という「平和ぼけ」の真っ只中に自分が居ると云う自覚が無いからである。
綺麗事を言わせれば天下一品。
ゆえにも恰もとても冷静で知性派に属する人間であるかの如き扱いを彼は受ける。
しかしこの男に仕事の出来るはずは無い。
「軍法に従い、涙を流して馬謖を斬罪に処する」と云う決断が出来なければ、その組織のたがが緩み、内部崩壊していくのは時間の問題である。
この手の「緩い人間」と付き合うのは、実にストレスのたまる事である。
画像は本文と何の関係も無い、一昨年門中寺院で訪れた、佐渡宿根木の三角家。