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贅言とは 言うまでもなく 言う必要のない事・・である


by tennkozann

あれから23年

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阪神淡路大震災から23年が経つ。
直接的被害者で無い私にはあっという間の23年間だった。

その時、本堂改修中でお祀りを書院に移していたので、其れは調度木魚念仏を始めて16分経った時のことであった。
ゴォ~と云う不気味な音がした直後、とんでもない揺れが襲ってきた。
東京での生活が長かった私は、震度3くらいの地震は何度も経験していたが、明らかに其れを上回る衝撃。
施餓鬼段を須弥壇代わりにしていたので、膝を伸ばせば手の届くところに高月があって、倒れないように手を伸ばした。
その日の朝念仏参加者は確か三人であった。

お念仏の後、当時宝塚に住んでいた絵奈に電話をしたのが何時頃であったか。
確か部屋の中がごちゃごちゃになっていると言うので、片付けを手伝って、一緒にお昼でも食べれば良いと、まだその時はのんびり考えていた。

余り時間をおかずに亡妻と出かけた記憶があるが、確かこの時は受験勉強中であった直央も一緒に連れ出したのでは無かったか。

ラジオをつけていたが、情報では次第にその被害の大きさが増してくる。
まだ携帯電話の普及以前だったので、コンビニから電話をかけようとするが、三田辺りでは全てのコンビニで公衆電話に行列が出来ている。
ついでに何か食べ物を仕入れておこうと思うが、全てのコンビニで残っている物は週刊誌と調味料くらい。

何か飲み物をと思って自販機の前に立つが、自販機も電気が切れていて稼働しない。
そんないくつかの事実から地震の大きさが予想外のものだと想像される。
ラジオが報ずる死者数が数十人から数百人、そして千数百人から二千三千と一気に数字を延ばしていく。

高速を下りて何やら普段の景色と違うのは、ブロック塀が軒並み倒れてしまっているから。
絵奈の住まいするマンションが近づいたら、倒れかけの家が目立ち始め、漏れたガスの匂いがする。

絵奈と泊まりに来ていた春日町の友人を即連れ出し、猪名川町周りで丹波を目指すしか無いと判断して車を走らせる。
途中道路に亀裂の走っているところもあり、迂回に迂回を重ねて柏原にたどり着いたのが夕刻近くになっていた。
余談ながら、その迂回に迂回を重ねる荒っぽい運転で絵奈の友人がひどい車酔い。
途中車を止めて嘔吐していたら、目の前の家の人が水を持って顔を出して下さった。所謂困った時はお互い様というものか。

色んな意味でまだ当時の傷跡を引きずっている人が少なくないのに比べ、何はともあれ、あっという間の23年間だった、と振り返られる幸せを思わなくては成らないのだろう。

by tennkozann | 2018-01-17 08:03 | Comments(0)