拝読(笑)

f0211225_07311110.jpg既に20年近くも前になるだろうか、スカパでブラジリアン柔術の世界選手権だったかを見ていた際、当時ブラジルに在住していた息子が画面に映った途端、解説者が「彼は滝川直央と云ってブラジルに永住を決めている選手です」とかなんとか・・・。

「格闘技の解説者如きが人の息子を呼び捨てにするな!」と云うフレーズが脳裏に浮かび(笑)、次いで「ブラジルに永住なんて聞いてないぞ」と思った。

実際はグレイシーバッハ(ブラジリアン柔術世界一の組織)の総帥・カーロスグレイシーJrが、国内に新しい道場を作って、息子を其処の責任者にしようという動きがあったのだそうであるが、その段階では聞いてはいなかった。

ただ、多分息子は、最終的には其れも両親は認めるだろうと考えていたのかも知れない。

私はいつの頃からか、親が子供に有無を言わせず親の権威で叱るのは、子供が小学校を卒業するまで!と考えていた。
それ以降は、基本的に子供が何をしようとも叱っては成らないのだと。

詰まり、小学校卒業までに、何をどのように選択するかの基本的価値基準を、しかるべく与えておくのが親の責任だという考え方である。

或る時息子に「最後にお前を叱ったのはいつだった?」と確認したことがある。
息子の答は、確か『中学二年だったかなぁ?』と云うことであった。
私はほぼ自分の方針を守ったと言えそうだ。

娘に対しても、多分親の権威を振りかざして叱ったというのは小学校卒業くらいで終わっているはずである。
それ以降は、基本的に娘の選択を全て尊重してきた、と思う。

因みに人生は『選択』の連続である。
その『選択』には、親の教育が大きな影響を与えているはずである。
ただ「親の教育」と云っても、其れは正面切っての教育では無く、両親の生活態度であるとか普段の会話であるとか、である。

其処には親の価値観が色濃く反映されている。
子供は常にそれを見て育ち、そして小学校を卒業した頃から徐々に『主体的選択』をするようになる、と其れが詰まり私の考え方であり、亡妻も其れを共有してくれていた。

息子が主宰するグレイシーバッハJapanの、各支部の責任者達が、MMAPLANETと云う情報サイトのリンク→http://mmaplanet.jp/84736をFacebookでシェアしている。
息子のインタビュー記事だ。

多くは私の知っている事実であるが、あぁ確かにそうだったと、妙に懐かしく思い出しながら拝読(笑)である(^^ゞ


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# by tennkozann | 2018-10-17 07:38 | Comments(0)

想い出荷物

f0211225_06402581.jpg
Facebook上の軽いやりとりで、某人の問いかけに「捨てきれない 想い出荷物 前後ろ」と返した。
種田山頭火の「捨てきれない 荷物の重さ 前後ろ」を単純にもじっただけのものである。

にもかかわらず、某人とのテンポ良いやりとりの中で「想い出荷物」と語呂を合わせたこのフレーズが気に入っている。
歌謡曲か短編小説の題名にでもなりそうである(^^ゞ

因みに、行乞の旅を続けた山頭火は、肩に食い込む振り分けの荷物に託して、その時の心境を詠んだのであろうが、より普遍的な問題として、人は捨てきれない「想い出荷物」を前に後ろに抱えているのかも知れないなどと云うことを考える。

年老いて昔話を繰り返すなどと云うのも、捨てきれずに持ち続けている想い出荷物を紐解いていると言えはしないであろうか。

そして其れを、後ろの想い出荷物だとするなら、今日一日生きる事は、前に想い出荷物をまた一個抱えるとでも云う事になりはしないか。

その新たに抱えた想い出荷物のウチの幾つかは、間もなく忘却の網にかかって忘れ去られるに違いない。
しかし中にはその忘却の網にかからない物もあるであろう。

其れは5年後10年後、捨てきれずにあった想い出荷物として、時に紐解いてみたりすることがあるのであろうか。

・・・と何やら詩人にでも成った気分である(^^ゞ

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# by tennkozann | 2018-10-16 06:53 | Comments(0)

偶感

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某人が某会議で声を荒げた。
何のことは無い本人の勘違い・浅慮の故である。
後で何を勘違いしていたのかは理解したのだそうだが、声を荒げた相手に詫びたという事実は無いらしい。
愚かなことだ。

某人が某ミーティングでやけっぱちな発言をした。
「それを貴方が言っては成らない」とたしなめられ、冷静さを取り戻した某人は『最近色々頭がいっぱいいっぱいで、チョットおかしくなっている』と反省の弁。
自分で自分をコントロールできないと云うことは、一人前の大人にあってはならない。
残念な話だ。

某人が某会議で厳しいことを語った。
内容に誤りがあるわけでは無い。
しかしその場の空気を悪化させるようなことは滅多に言うべきでは無い。
某人は、自身納得しているのでもあろうが、或る種の孤立を余儀なくされている。
もう少し違った展開があるのに!とため息が出る。

何度も頭をよぎる良寛さんの歌。
世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我はまされる
だ。

さ・・・午前中にすべきことは全て終わった。
今日ものんびり保月城へ!だ。

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# by tennkozann | 2018-10-15 10:26 | Comments(0)

今朝の結論

f0211225_07352604.jpg朝のお念仏をしながらふと母の亡くなった年齢のことを思った。
母の亡くなった年齢は64歳。
そうするとその時、父は70歳であった。
詰まり私の今とほぼ同じ時期に配偶者(詰まり私の母)を喪っている。

私は妻を喪って今年で14年・・・・と云うことは、寡夫(カフ)として私は父の14年先輩?ベテラン?などと、全く意味の無い比較をしてみる(^^ゞ

当時31歳であった私は、母亡き後、少なくとも外見上は実に淡々と日暮らししている父を『大したモノだ』と眺めていた。
そしてその感慨が、野間宏解説の『歎異抄』を読むことになったように記憶している。
陽明学に興味を持ったのもその頃であった。

父は母亡き後、約26年生きた。
最後の数年は、とても生きていたなどと言える状態でも無かったが、それはそれとして、私も同様に寡夫状態を26年生きるとすれば、余すところ12年。
詰まり81~82歳?

私は母亡き後の、父の26年をだいたい知っている。
其れを敢えて論評しようなどとは思わないが、ぼんやりと『もぉ少しましな26年にしようと」とは・・・正直な思い。

当時父には三人の孫(私に二人・姉に一人)が居た。
今の私と同じだ。
父と三人の孫の距離感はどうであったか?等云うことも脳裏をかすめる。
其れと比べて私の其れは?等と云う事もちらりと思い浮かぶ。

そして思う。
思えば思う程意味の無い比較だ!と(^^ゞ
しかし、知らず識らず息子というものは父を如何に超えるか?と云うことを常に考えているのかも知れない。

因みに息子は既に軽く私を超えている。
多分、息子が私と同じ年齢にさしかかった時、彼は私を比較の対象とするような愚かなことはしないであろうと、其れを期待するのが今朝の結論だ(^^ゞ

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# by tennkozann | 2018-10-13 07:37 | Comments(0)
f0211225_04432313.jpg
昨晩は早く寝たせいか、3時頃ぼんやりと目が覚めた。
時間を確認すべくスマホを見たら直央からのメッセージ。
内容は体格が近づいてきた暁央(中1)とのスパーリング動画。
・・・これから何年で真剣なスパーリングが出来るようになるか・・・と書いてある。

内容は直央が暁央を軽くいなしながら、細部の指導をしている。
私が羨ましがるのも変な話だが、通常大抵の男親なら羨ましくなるのでは無かろうか?と思う。

いつもは布団の中でもう少し寝ていようと思う所、一気に目が覚めた(^^ゞ

然し考えてみたら、世の中には子供に恵まれない人が有る。
子供があっても、その子が結婚をしようとしないことを悩む親も昨今は少なくない。
また、不幸にして子や孫が障害を持って生まれてくる場合もあれば、断絶している親・子・孫という関係も無くは無い。

娘が、漸く1歳になった我が子が、二本足で立ってチョット得意げな孫の動画を送ってくる。
息子が我が子とのスパーリング動画を送ってくる。
結構な事だ!
文字通り、実に有り難い事実だ。

最近ぼんやりと・・・したい事をして、大抵の望みを叶えて、チョット生きているのが面倒になってきて、死ねば亡妻に再会できるのでは無いか?等と考えていたが、矢っ張りもうチョット生きている事にした(^^ゞ

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# by tennkozann | 2018-10-12 04:44 | Comments(0)

心地よい出来事

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私の坊さん人生で一番お世話になった人は故別府信空上人。
その御上人が折角書き下ろされたにも拘わらず、出版できないままになっている原稿があるのだと仄聞した。
10年ばかり前のことだ。

原稿を拝見して、某機関がなぜこの原稿の出版を躊躇したのかはほぼ想像が出来た。
しかし、左様な事は全く意に介する必要も無いと思われたので、私が西楽寺を出版元として「念仏者のよろこび」を刊行。
新書版74頁の、小冊子と呼ぶ程度のものであるが内容は濃い。
編集することで随分と勉強になったことも少なくない。

又私の判断で、御上人の発言として書き足した部分もあったが、了解して下さった等と云う事もあった。
更には、出版を躊躇した某機関の責任者が、自らの力の無さを弁解しつつ、私が刊行したことに謝意を述べ、100冊も注文してきたなどと云うこともあった。

過日山口県在住の見知らぬ人から電話があった。
聞けばクリスチャンなのだと云うが、某オークションでこの本を入手して随分と感銘を受けたのだと。
そして是非読ませたい人が有るのだが、一冊は手元から離したくないので、お分け頂く物は残っていないのだろうか?と云う問い合わせであった。

10冊ばかり手元にあったので送ることとした。
相手の人は、料金について問われたが、そういう経緯でお読み頂ける方があるなら、御上人に対する供養の一貫・恩返しともなりますので云々・・・と、しおらしく答えておいた(^^ゞ

私はこの事がとても嬉しい。
お亡くなりになって10年近く経ち、縁もゆかりも無い某クリスチャンが御上人の話に触れて感銘を受けている。
その一翼を担えているというのは、私にとって心地よい出来事である。

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# by tennkozann | 2018-10-11 05:28 | Comments(0)

命日

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11月4日の演劇公演に関して、流石にもうそろそろ檄を飛ばさなければと、昨日は僅かに厳しい口調で物を言った。

執行部なるモノを組織しながら、その執行部に属した面々に本当の意味での当事者意識が欠落したままである。

このままでは間違いなく、11月4日は700数十席のウチ100席以上空席が出るであろうというのが私の判断。
その危機感を、執行部の全員が如何に共有するか、とそういう段階に来ている。

本当の意味での当事者意識、それはその字が示すとおり「事に当たっている」のは、他の誰でもないこの自分であると云う意識である。
それを如何に呼び起こすか?となると、どこかで傍観者意識が抜けず、評論家気分で物を言っている輩を個別に潰さなければならない。

しかし、一つの事業に向けて進んでいるという状況でなければ、普段は仲良く談笑する相手だけに、言い回しを注意しないといやな気分が残ってしまう。

そんな事を気遣いながらの昨晩であったが、少しは残りヒト月余りの動きに関して、ムードを変えられるのでは無かろうか。

帰宅は11時近くになっていたが、2時半に目が覚めた。
まだ頭の中が興奮状態なのか?(^^ゞ

いやにすっきりと目が覚めてしまったので、私は起き出して台所に立ち、血糖値対策として欠かせない野菜サラダを作り、浅漬けを仕込んだ。
因みにこの浅漬けは、某道の駅で売っている「あさ漬け塩」を使うのだが、この塩で漬けた浅漬けの1日~2日経ったものはすこぶる美味である。

台所での作業をしながら、あぁこんな事も14年前にはろくに出来なかった・・・と思う。

今日は妻の14回目の命日・・・。

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# by tennkozann | 2018-09-27 04:03 | Comments(0)

ん? 北風と太陽?

f0211225_18342018.jpg事ある毎に私は繰り返し言う「理念だけで人が動くのだとすれば、人類はとっくの昔に戦争などやめているに違いない」と。

如何なる組織にも如何なる運動にも理念が必要であることは、マッタク!言うまでも無い。
しかし!如何に立派な理念を掲げたとしても、聞く者の中には馬耳東風、我関せずという人間があるものである。

イソップ物語の「北風と太陽」、誰もが知る話である。
理念としては「太陽」がマッタク正しく、太陽だからこそ旅人の外套を脱がせることも出来たのである。

しかし、この物語は北風と太陽の力比べに始まる話で、外套をまとった旅人の個性については語られていない。

この物語は、確か旅人が外套も何も脱ぎ捨てて水浴びをしたと云うところで終わっているが、問題は旅人の個性である。

もし旅人が無類の怠け者だとしたら、降り注がれる陽光を可とし、寝転がって昼寝を続ける事、請け合いである。

世の中にこの手合いは五万と居る。
それが現実というものである。

そうとすれば、いつもいつも太陽宜しく温情を以てのみ他と接するというのは、必ずしも賢明な対応と言えないではないか。

北風を吹き付けて、旅人に『こんな所にいたら凍え死んでしまう、もう少し頑張って早足で歩かなきゃ』と思わせ、その結果目的地にいち早く到着して、早歩きでの暖まりついでに、外套を取ると云うことだってあるのである。

現実の複雑さに目をやらず、観念的結論としての正邪で全てを判断し、その延長線上で理念を語り続ける。
これほど一見賢げに見えて、その実この上なく愚かしい対応はない。
腹の立つことが多いのは、加齢の所為ばかりではない。

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# by tennkozann | 2018-09-24 18:39 | Comments(0)

死ぬ準備?\(^o^)/

f0211225_18401510.jpg過日丹波新聞の取材を受けて、15冊の著書があると紹介もされたので、この際自分で簡単な著書目録もどきを書いておこうか・・・と。
70歳が間近になって、死ぬ準備という側面もある(^^ゞ
命があれば、今計画中の本と、更に一冊くらいは書くことになるかも知れない。
私が私自身を納得させるための、生きてきた証とでも言えば良いだろうか?
まぁそれにしても随分と書いたものではある(^^ゞ

●『西楽寺読本』昭和63年6月8日(1988)・四六判109頁 発行西楽寺 (39歳6ヶ月)
40歳を前にして、突然亡くなると云う事になったとしても、次の西楽寺住職がお寺の全貌を知り、その運営指針とすべきものを書き残しておこうとした。
この頃から檀家の私に対する評価も徐々に好転していったのかも。

●『参小島省斎語録』昭和63年秋彼岸(1988)・四六判61頁 私家本(39歳9ヶ月)
丹波出身で無い私が、幕末に柏原織田藩を指導した小島省斎の存在を知り、その片言隻句に参じたもの。

●『何・・・』平成4年12月(1992)・新書判62頁 発行素交会(44歳)
有志を集めて素交会なる勉強会をしていた際の講話録。

※『壺中贅言』平成8年4月1日(1996)No360~平成10年3月1日No381浄土宗総本山知恩院発行『華頂』に21回連載。
華頂誌がモノクロからカラーになった際、巻末のコラムとして連載。

●『一字考』平成13年2月(2001)・新書判139頁 発行素交会(52歳2ヶ月)
平成11年(多分)から丹波新聞に連載した漢字コラムを素交会が素交会叢書として出版してくれた。
社団法人・関西電気管理技術者協会発行『でんきのかんりNo26』巻頭エッセイに「咲という字」が転載された。
某氏がこの本の中から明らかな盗作をしていて、知人に指摘されて詫びに来られたことがある。

●『夢幻泡影』平成16年11月14日(2004)・四六判200頁 私家本(55歳11ヶ月)
亡妻の脳腫瘍が見つかり、その後90日間に亘る自宅療養の記録。
発行日は亡妻の満中陰の日に合わせてのものである。
題名夢幻泡影は、金剛経の名句「一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 應作如是観」から採った。

●『小豆島遍路記』平成20年11月25日(2008)・A5判50頁 私家本(59歳11ヶ月)
何もせずに還暦を迎えたくなくて、8日間かけて小豆島88カ所を、特に遍路道だけを選んで歩いた際の記録。
事実関係だけの記述にもかかわらず「面白かった」と言われることが少なくなかった、読みやすかったのだろうか。

●『贅言に候』平成22年9月27日(2010)・四六判384頁 発行西楽寺(61歳9ヶ月)
亡妻の7回忌に合わせて、それまで書きためていたブログ数百編を取捨選択し「瑣事感興 井蛙管見 異見有理」など、自前8種類の四字熟語に分類したもの。
娘が編集・校正などで協力してくれた。
旧友のCG作家・写真家の八木博氏(故人)がカバーデザインをしてくれた。
全く面識の無い人からの感想文が、一番多く寄せられたもの。

※『怠惰な誘惑』平成24年6月7日(2012) 兵庫民芸No45 19頁~23頁
当時兵庫民芸協会副会長であった笹倉徹氏(のち同協会会長)と雑談をしていて、同氏に『その話 文章に纏めてよ』と言われて、気力を振り絞って書いた記憶がある。

●『矜持保つ可し』平成25年8月21日(2013)・四六判184頁 発行西楽寺(64歳8ヶ月)
西楽寺読本の改訂版であるが、晋山以来堂宇の大改修・五重相伝開筵・授戒開筵・別時念仏会連続開催等々、大きな出来事か続いたので記録しておくこととした。

●『げにしかり』平成25年8月21日(2013)・新書判100頁 発行西楽寺(64歳8ヶ月)
「矜持保つ可し」で、趣旨に賛同して下さる方への寄付協力をお願いしたら、思い掛けず大きな金額が寄せられたので、付録として書いたもの。
私らしいと云うのがもっぱらの評判であった。

●『民芸考から念仏行へ』(2013多分)・A5判19頁 私家本
熊本の石橋を三日間掛けて見て回った際の記録と、そこから連想される民芸理論、そしてお念仏のことを小冊子に纏めた。
副題は『これでも私の念仏論』である。

●『仏教は人生の学びとなるか』平成27年6月26日(2015)・A5判68頁 発行浄土宗兵庫教区丹波組ダーナの会(66歳6ヶ月)
丹波組ダーナの会が連続開催している「青壮年仏教講座」で一時間半ばかり話したものが、親縁寺さんの提唱によって小冊子となった。
結婚前によくお念仏会に同行していた陽子ちゃん(別府陽子 寺庭夫人)が趣味で書き続けている可愛いお地蔵さんの絵が挿絵として使われた)。

●『拳堂という生き方』平成28年7月2日(2016)・四六判200頁 発行西楽寺(67歳7ヶ月)
随分以前に丹波新聞に連載した『奇行聖人 松井拳堂逸話評伝』をベースに書き下ろした。
取材に際して貴重な発見もあり、一部を徳富蘇峰記念館や海上自衛隊鹿屋航空基地史料館に寄贈した。
又数点の達磨図(拳堂筆)を、出版に協力して下さった面々に差し上げた。

●『丹波布復興の父 金子貫道』平成29年7月18日(2017)・A5判166頁 発行神戸新聞総合出版センター(68歳7ヶ月)
兵庫民芸協会会長笹倉徹氏との縁で、断片的に知り得た情報を吟味しつつ、次第に中途でやめることが出来なくなり、東京や高知まで取材に出かけて纏めたもの。
これまで大手を振って丹波布を呼称していた物に対する疑問が氷解した。
ただ、その大手を振っていた丹波布に近い面々には随分と不快な著作のようだが、それも折込み済み。
異論があるならいつでも受けると公言しているが、誰も直接異論をぶつけてくる者は無い。
高校時代の友人が図書館で見かけたという連絡が三件もあった。
ローカル話題ではあるが、歴史の真実が見えたと、喜びの声を伝えてくれる人も少なくない。

●『我が友八木博』平成29年10月(2017)・A5判27頁 私家本(68歳10ヶ月)
癌で急逝した旧友八木博氏が主宰していたCG教室の面々が、同氏存命中に急遽作品展を開催した。
その際八木本人がその展示会に寄せて何かを書いてくれと依頼してきて書いたものに加筆して、彼の満中陰にお供えとして発行。

●『丹波布復興 それまでとその後60年の歩み』平成29年11月(2017)・A5判12頁 発行丹波布復興60周年記念事業実行委員会(68歳11ヶ月)。
この実行委員会の参与とし、或る種の役割を担っていたのだが、後に続く者が丹波布の方向性を誤らないためにと云うことを意識して監修した冊子の年表。
当然その役割を満たすために、ただの資料集ではなく『読む年表』というコンセプトで発行した。
専門分野に携わる人たちから高い評価を受けた半面、これも又、低レベルでの丹波布に安住していたい面々には面白くない冊子となったようである。
しかしその面々の愚痴だの悪口雑言より、冊子の体裁を採っておけば長く生き続けることは間違いない。
丹波市内の公的機関には贈呈してある。

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# by tennkozann | 2018-09-20 18:52 | Comments(0)

新聞掲載 余録

f0211225_19262452.jpg
過日丹波新聞の荻野氏に取材を受けた際、一応これまでに刊行した全ての本を揃えてみた。
それを見て荻野氏は言う『小島省齊の語録があったでしょ?』と。
私は答える『アレは若気の至りだからな・・・』と。
彼は続けて言う『そうですか?私は講演なんかで随分参考にさせて貰いましたけど?』と。

今朝新聞記事となって、なんやかんやと反響があり、中には『丹波布復興の父・金子貫道』に関して、「子供の頃随分可愛がって貰いました。丹波布の話題が出てきてもどうして金子さんの話題が出てこないのか?その訳が分かりそうなので在庫があるなら分けて戴きたい」と早朝訪ねてこられた人が有った。

そんな報告を兼ねて荻野氏に電話したら、丹波新聞社の若い記者が、小島省齊の語録と拳堂に関する本を欲しがっているのだとか。

そこで、私自身は若気の至りと、ついぞ読み返すことも無かった小島省齊の語録を読み返してみた。
40歳の時の文章である。

ん?
全て廃棄処分にしようと考えていたのだが、意外な程しっかりと面白い書き方をしている。
或る事情があって、僅か一週間で書いた小冊子(B5判 61頁)であるが、今よりもマシ!と思える箇所も少なくない。

つらつら考えてみた。
当時は、殆どどこにも自分の思いをぶつける機会が無く、自らのウチに溜まりに溜まっていたモノがあったのだと。
だからこそ、其れを凝縮する形で一気に吐き出せば、40歳にして1週間でこの程度のモノが書けたのだと。

其れに比べて、なんとも間が抜けた毎日を暮らす昨今である。

私は思いがけない自省の時間を持つこととなった(^^ゞ

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# by tennkozann | 2018-09-09 19:27 | Comments(0)