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贅言とは 言うまでもなく 言う必要のない事・・である


by tennkozann

別れ

f0211225_19395823.jpg某舞台女優と10年来の約束を果たすべく7月初めに東京へ出かけようと考えている。

久しぶりの東京なので、この機会に羽田の穴守神社近くにある横山煎餅に行こうと思い、営業日を確認してみた。
なんと!検索結果は「閉業」を知らせている。
些かショックである。

煎餅好きの私は、この横山煎餅が日本一の煎餅で、後は二番も三番も無い、敢えて順位を付けるなら、横山煎餅の後には2位から9位まで抜けていて、せいぜい10位程度の煎餅がある。

勿論個人の好みもあろうから、客観的基準とはいかないが、私の認識ではそうである。
ゆえにも、或る時は酔狂にも飛行機に乗って買いに出かけたこともある(他にも用事があったのだが)。

また息子が大学在学中、年に1~2度部屋の片付けなどに出かける家内に、必ず羽田まで足を伸ばして買ってきて貰った。

学生の頃偶々通りかかって、買ってみた。
狭い店内では確か二人か三人のおばちゃんが、備長炭で煎餅を焼きながらひっきりなしに裏返しつつ、刷毛で醤油を塗っていた。

僧侶になってからもその味が忘れられず、電話で送ってくれるように頼んでも、「縁起物ですから割れては成らないので」と送ってくれることは無かった。

大抵の場合、ヒト月ほど前に予約しないと手に入らない人気で、しかし大量生産出来るわけでは無いので閉業となったのだろうか?

唯それでも私は、その味を守り続けた頑固さを是とする。
それで閉業やむ無しというのは、あっぱれだと思う。
そして更に、その煎餅にこだわり続けた自分に向かって「おぉ!そのまま何かにつけて本物志向を曲げるでは無いぞ」と念押しをしてみる。

人生70年、色んな別れがある。
それは人間との別ればかりでは無い。

嗚呼人生!だ。

# by tennkozann | 2019-05-24 06:47 | Comments(0)
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目の前で雲は刻々その姿を変えていく。
片や、木々は雲のように変化をするわけでは無いが、しかし芽吹き紅葉し落葉するという変化は、目の前で刻々変化していく雲と何ら変わることは無い。

敢えて言えば、雲を物理的「現象」、木々は物理的「存在」のように思いがちだが、広義の意味に於いて木々も亦物理的「現象」である。

この現象の起こり得る所以を仏教では「縁起」と言い、現象そのものは般若心経で謂う所の「色」である。
ゆえにも、条件が変わる明日の空に同じ雲が在ることは無い。
しかし又、別の形をした別の雲が湧き上がっているだろう事は紛れもない事実で、その事を「色即是空 空即是色」と般若心経は説いている。

とまぁ
人間もそれと何ら変わることが無い、それが人間の命の有り様なのだよ、と仏教は考える。

この写真に即して平たく言ってみれば、「雲は在ると言えば在るけどね、一時として同じ姿を保っているわけでは無いのだから、目の前に雲を見ながら、実は其処には何の実体も無い事を知らなければね。事実は、雲と名付けられる現象だけが在るのだよね」と云うようなことになろうか。

この事をまた仏教では「空・仮・中」の三諦などと呼ぶこともある。

などと、山登りも思索の一部である・・・ってか?\(^o^)/
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# by tennkozann | 2019-05-23 06:08 | Comments(0)
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夕焼けとまではいかなかったが、夕日に赤く染まる空と水田を眺めてきた、昨日夕刻。

夕刻の冷え込みと下り道の不気味さを考えて、あと10分ばかり我慢してれば良さそうな時間で下りてきた。
あはっ(^^ゞ
我ながら根性がない(^^ゞ

日の出に向かって登る暗闇は全く何でも無いのに、夜に向かう薄暗がりは何でこんなにも不気味なんだろう?
勿論答の出ないまま転ばないように気をつけて下り道を急ぐ。
うん!
年相応に注意深くはなってるな・・・と云う程度の事だけを考えている。

それにしても、わずか百年も昔は、夜道を歩くといえばこの程度の不気味さがつきものだったはず。
何かの事情で、夜峠を越さなければならないというような事情のある人だって有ったはず。
そんな事も頭をよぎる。

しかしまぁ、大きな心配事もなく、然るべき収入もあって、山登りを繰り返す体力も残っており、誰に何を邪魔されるわけでもない、誰かに気兼ねが有るわけでも無い、平凡ではあるが実に結構なことだと・・・しみじみ。

# by tennkozann | 2019-05-22 07:14 | Comments(0)

感動実話

f0211225_08012927.jpg♫ かあさんが 夜なべをして 手ぶくろ 編んでくれた

この歌い出しで始まる「母さんの歌」、我々世代の誰もが知る歌である。

特に興味があったわけでも無いので詳細を知らなかったのだが、実はこの歌は実話に基づいていて、作詞をした窪田聡氏は、現在も健在(84歳?)で、岡山県に在住なんだそうである。

ところで某説教師が、この歌の背景となる実話を感動的な説教の材料としているのだそうである。

或る時、私の友人がその説教師に、窪田聡氏の現在住まいされている地名を出して話をしたら、その説教師はキョトンとしていたのだそうだ。

つまり彼は、歌の背景に或る実話が、聴衆を感動させ得る内容であると云う事に興味を持つものの、作詞者そのものには格別興味を持たないと云う事のようである。

片や私の友人は、自らが感動する対象の人物が現存すると知ったなら、すぐさま駆けつけて、その対象人物と共有出来る時間の中で、その人間の体温とでも云うべきモノを実感せずにおれないというタイプである。

先の某説教師は、最近中々の売り出し中なのだそうである。
多分「母さんの歌」に類する、聴衆の好みそうな話材を豊富に持っているのだろう。
勿論十分な話術も心得ているに違いない。

しかしそれが何?と私は思う。
それは、ユニークな商品を豊富に取りそろえた雑貨屋さんのようなものである。
「母さんの歌」に感動し、その背景に学ぶべきモノがあるとするなら、現存する作家に出会ってみたいと思うのが人情というモノであり、その経験(面談している時間)こそが、自らの人格形成に資するというものである。

興味がとんとそちら(自らの人格形成)に向かわず、この話で聴衆を感動させ得る等と云う事にのみ興味が行くというのであれば、それは矢っ張り目新しい商品に飛びつく雑貨屋のオヤジである。

因みにその某説教師、実は若い頃の彼とチョット縁があった。
何度か2人だけで話をした事もある。
私がそう感じていたのだから彼も私の事をそう思っていたであろうが、所謂「いけ好かない」奴だった。

昨今の彼の噂を仄聞して、矢っ張りな!・・・と私は妙に納得する。

# by tennkozann | 2019-05-21 08:04 | Comments(0)

女は辛いよ(^^ゞ

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過日訪れた天寧寺、伝承によれば、井伊氏11代直中(井伊直弼の父)が、腰元・若竹が不義の子を妊娠したとの風評を耳にしたため、藩の法度として彼女を死罪に処した。

ところが後で、不義の相手が長子・直清(井伊直弼の兄)だったことが判明し、詰まり自分が死罪を与えた相手のお腹には、自らの孫が宿っていた事に愕然とし、母子の追善供養として建立したのだと伝えられている。

過日の近江訪問は、井伊直弼の女隠密と呼ばれる村山たか女の関連遺跡巡りが目的だったのだが、その村山たかはとても美しくまた有能でもあったようである。

必ずしも歴史につまびらかなわけではないが、私は自身の断片的な知識から、その村山たか女の人生に「女は辛いよ」の言葉を付し、同時に、歴史の過渡期、激動の時にあって気立ての良い女性はとかく運命に翻弄されてしまうと云うような面がありはしないかと思う。

すぐさま思い浮かぶ人として、戦国一の美女と謳われた信長の妹「お市の方」、そしてその三姉妹のひとり「茶々(後の淀君)」、或いはずっと時代が下がって幕末の「皇女和宮」や唐人お吉と云う呼び名で知られる「斎藤きち」等々がある。

運命に翻弄されるなどと云う言い方は些か無機的な表現だが、要は男の欲が彼女たちを振り回している・・・。
性欲は言うに及ばず、征服欲・権力欲等々の道具としてである。

私は、テレビで偶に見かける女性学研究家だか何だかの肩書きを持つ田嶋某と云う女性、見ているだけで反吐が出るほどであり、話す内容にはほぼ不快きわまりない思いを持つのだが、歴史の途上にはああいう輩がしゃしゃり出るのも許容しなければならないのかもと思う。

私が不快きわまりないと思う田嶋某も亦、稀代の美女達同様、ある種の必然性を持って出現し、それらを含めて人は歴史に学ぶべきを学ばなければならないのかも知れないと思うからである。

# by tennkozann | 2019-05-20 09:21 | Comments(0)

老化の大敵?

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人間の手足や頭等と名付けられているモノがそれぞれ別個に存在しているわけでない事は百も承知している。
またそれら体の部分と心が無関係に有るわけでない事も充分過ぎるほど分かっているつもりである。

その上で、敢えて部分を別々にあるモノのように思索を深めていくと、何はともあれ頭(心)をフル稼働させる事が肝心なのだという結論になる。

要は、頭(心)がほんの少しでも休みたいと考え出した途端に、体の他の部分、詰まり目も耳も手足も休みたがるのではあるまいか?

その目はモノをしっかり見抜いたり見極めたりをしなくなる。
耳は大切な情報を聞き逃すようになる。
手足は、モノをしっかり掴んだり障害物を適切に避けたり出来なくなって怪我を誘発するようになる。
早い話が老化である。

逆に言うなら、唯々運動を欠かさないなどと云うのは、必ずしも適切な老化対策ではなく、まず頭(心)をフル回転さえさせておけば、それに見合った運動を手足は求めてくるのである。
そして頭(心)の回転に合わせるように目も耳もそれぞれの働きを果たす。

これ以上の老化対策は無いのでは無いかと最近頻りに思う。
なぜなら当の私も、もぉ何かにつけて頭(心)をフル回転させるのがシンドクなり始めているのである。
出来るならそういう状況を避けたがる傾向にある。
しかし、それは老化の最大の敵なのだと気づく。

同世代で老化の早い人間は、それは必ずしも肉体的な問題では無く、先ずは頭(心)をフル回転させるような状況を忌避している人間なのだと云う事がよく分かる。

微妙な問題に、畢竟「成るようになる」などと、静観を決め込み、それこそが大人の対応なのだなどと思っていたら、案外それは老化の速度を速めているのかも知れない。

何でも無いようだが、私は案外大切なことに気づいたのかも知れないと僅かに気分が良い。

# by tennkozann | 2019-05-19 09:37 | Comments(2)

悩まない(^^ゞ

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朝5時半から一時間の木魚念仏以降、殆ど休み無く所用をこなしていた一日。
午後のひととき「このままでは後が続かない」と30分程度の仮眠。
その後予定通りに次の来客があり、少し待って貰って用件をこなし、引き続き外出。
帰宅後も、明日の準備を済ませて、夜の某慰労に向け30分程度の仮眠。

全てを終えて帰宅は10時くらいだったか?
入浴後ほてった体を冷ましながら読書をしていたら一向に眠気が襲って来ない。

ん?
これは一体何?と思いつつ、だったらひとまず明日の心配はしないことにしてPCに向かってる。

実は明日(と言っても既に今日となっているが)も、朝のお念仏を30分で切り上げて、慎重に準備しなければならないことがある。
そしてほぼ食事時間を別にすれば暇という暇はなく、全てが終わるのは8時か9時か?(^^ゞ

同年配で、深夜目が覚めてその後再度眠ることが出来ないのだと、苦にする人間の話を聞く。
そういう際の私の受け答は「眠れないときは起きてれば良い、眠くなると寝られるのだから」。

とはいうものの、私も正直な所、いつも通り朝4時半に起きることが出来るのか?心配が無いわけでは無い。
しかし、
起きられないときは寝てれば良い。
死なない限り眠りっぱなしと云うのは無いのだから。

事ほど左様、如何に開き直れるかが、良い老後の秘訣ではなかろうか、と自分に都合良く理屈を付けてみる。

当然まだ眠くは成ってこない。
ブログをアップしたらも一度入浴でもしてみよう\(^o^)/

# by tennkozann | 2019-05-18 01:00 | Comments(0)

遅ればせながら

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見聞を広める事は多分意味がある。
ただ真に意味があるかどうかはイマイチ証明のしようが無い。
なぜなら観光旅行を繰り返している人間より、さほど動き回らない人間の方に、はるかに人間的深みを感じる事が有るのだから、さて?そうとすれば見聞を広める事にどれくらいの意味があるのだろうと思わなくも無いのである。

交際の広まることは多分意味がある。
ただそれも亦(マタ)真に意味があるかどうかはイマイチ明らかで無い。
敢えて人脈などと言いたくも無いが、所謂(イアユル)人脈豊富な人間が居る。
それが僅かな金儲けに反映されるような事があったとしても、ちっともその人間を深めているわけでもなく、ゆえにもそういう類(タグ)いと話をしていて実に詰まらない事がある。
またその人間が仲睦まじい家族を作り上げているわけでもない。

名所旧跡を見て回って、後刻後悔する事がある。
ささやかなパンフレットもどきを持ち帰り、そこに書かれていることを読んで、自身の知識不足故に十分な味わい方をしていなかったと云う後悔である。

敢えて言うならそれは、目は確かに見たのだが、それが心には届かなかったとでも言えば良いかも知れない経験である。

人脈というやつも多分それと同じ事である。
その相手の地位だの名誉だのを上手く利用して、或る種の野望を満たすことが可能かも知れないが、人として学ぶことのない行為は、犬が犬好きに囲まれて尻尾を振り回って餌にありつくのとどれくらいの違いがあるであろうか。

自身の見聞を味わうにはそれなりの知識が必要である。
他人との交際から何事か学ぶには、こちらの人間的深みが先決問題である。

齢70、漸く人間の真のありようが遅ればせながら分かってくるような・・・だ。

# by tennkozann | 2019-05-17 08:37 | Comments(0)
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過日山で出会ったU・K子さん。
「今度三尾山連れて行って下さいよ」と。

しかし20代の彼女と今の私では三尾山はシンドイ(^^ゞ
その旨伝えて、「それよりも城山の夕日を見に登ろう」と私。
そして彼女の指定で本日夕刻登頂。

私は自分の体力を考えて「5時半くらいからゆっくり先に登ってます」と伝えておいたら、車で向かう途中、5時15分くらいに「今から登ります」とメッセンジャーで彼女。

おいおい!20代の女の子が夕刻にひとり先に登るなんてチョット大胆じゃないですか、と思いつつ、意外に体が軽かったので、孫に気を揉む爺さん宜しくいつもより早足で追いかけた(^^ゞ

途中すれ違った40代?の男性は、「こんにちわ」と声を掛けても返事をしない(彼女もそうだったらしい)。
それみろ!こんな時間に一人登っている人はチョット変わり者と、心配が増す(^^ゞ

漸く登り着いたときには、かなりヘロヘロ(^^ゞ
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心配なのは彼女ではなく私の体だ(^^ゞ

なんだか楽しげに山登り用品を出してココアをご馳走してくれた。
また近日中に誘ってくれるらしい\(^o^)/

老後の一日・・・悪くありませんがな\(^o^)/

# by tennkozann | 2019-05-16 20:16 | Comments(0)

SNSですなぁ~\(^o^)/

f0211225_06575878.jpg某日Facebookで友人に僅かな言葉の誤用があった。
コメントで指摘するなどと云うのは余りにも非礼なので、「念のため」としてLineで指摘した。

要はその友人が理解すれば良い事、いちいちコメントという公の場でしたり顔の指摘などするべきではなかろう。

因みに、Facebookで、頻りにしたり顔のコメントを繰り返すおっさんがある(オバサンにそういう人は少ない)。
初老の男にありがちな、自分は物知りだとでも言いたいのか、知ったかぶりで人の歓心を買いたいのか?だ。

しかし、この手合いはやたらと知ったかぶりをするので、実は笑ってしまうような間違い連発である。
特に「仏教で言う所の・・・」などと書いてあるとつい目が止まるのだが・・・・おっさん!知ったかぶりして嘘を書くなよ!・・・・と思う(単なる間違いというのではなく、基礎的教養の無さがあふれ出している)。

しかしまぁそれによって大きな被害が出たりすることもないのだから、この手合いには勝手に書かせておけば良いか!と思う\(^o^)/

SNS、効用もあれば弊害もあれば危険でもあれば楽しくもある。
背伸びは禁物、下心禁物、淡々と楽しむに如かずだ。

# by tennkozann | 2019-05-16 07:03 | Comments(0)