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贅言とは 言うまでもなく 言う必要のない事・・である


by tennkozann

絵を買った

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時に「なんの予備知識も無くて、いきなりピカソの絵を見せられたなら、そのウチの何人がその絵を素晴らしいと言うだろう」などと云う事が話題になる。

かのゴッホは生前誰からも認められることが無かった。
然し今や数十億?と云うとんでもない価格で取引をされる。
所謂芸術作品の価格・・・一体誰がどこでどの様に価値づけるのか?

最近此の絵を手に入れた。
ひとまずなんの知識も無く・・・だ。
作者はツェグミドと云う名前でモンゴルの人。
1958年ウランバートルに生まれる。
1991年国立芸術文化大学総長。
世界各地で個展を開催しているらしい。
ネットが発達している現在、情報は色々入手出来る。

しかしそんな情報が無かったとしても、私はこの絵が自分に入手可能な範囲の価格であったなら躊躇すること無く購入する(現に購入した)。

絵の評論家先生はどんな評価を下すのか?
どうでも良いことであるが興味がある。

# by tennkozann | 2022-06-30 08:40 | Comments(0)

一気に読んだ

一気に読んだ_f0211225_07290963.jpg
図版入り100頁ばかりの随筆集なので一気に読んだ。
城山登りを休んでいる効用と云うところだ。

今回初めて、自伝風の随筆集を読む事に、二種類の意味があると思った。
一つは客観的事実に関する再確認若しくは再発見である。
今回は、最初の師・入江波光はともかくとして、二番目に師事した村上華岳に関しては、自ら望んでと云うより師の方から望まれて弟子になったニュアンスが強いと云うこと(入江波光と村上華岳は親友)。

或いは、生活に困窮して家に伝わる伊藤若冲の作品や、親戚筋に当たる与謝野鉄幹(父親の従兄弟)の手紙などを二束三文で売ってしまったことが有るなどと云う事実を始めて知った。

その他諸々始めて知る事実が少なくなかったが、一冊読み切ることで石川晴彦に関する印象というモノに変化が起きる(良い意味で)。
印象は言わば主観そのモノであるが、つまり再確認した客観的事実を土台として、自信を持って見ずからの主観を石川晴彦評の核とし得る。

今秋開催の『もっと知ろう郷土の偉人展』シリーズで随分と色んな事を学べる。
まぁ有り難い話!だ。

# by tennkozann | 2022-06-29 07:30 | Comments(0)

知的向上心ヽ(^o^)丿

知的向上心ヽ(^o^)丿_f0211225_14261990.jpgそもそも経験そのものに価値の上下はありはしない。
経験そのものはいつも価値的に中性、それを如何に価値あらしめるかはいつにかかって此方の問題!だ。
そういう意味では人生のあらゆる失敗も、全てその後の人生に活かすことが出来る。
逆に如何なる成功も、その後の人生に悪影響を及ぼす可能性はある。
とその事を前提として、私は嘗て「同じ出来事を通じて、他の者よりも如何に多くのモノを学び取れるかと、いつもその事を気にしているのが良い」と書いた。

今秋、丹波組ダーナの会で「もっと知ろう郷土の偉人」シリーズの一環として、石川晴彦展を開催する。
疎開期間を含めて17年間この上なく丹波を愛し、晩年仏画がとても高く評価された画家だからである。

半年前くらいから打ち合わせや議論を重ねている。
私は以前から注目もしており作品も二点持っているのだが、この機会に更に見識を深めておこうと、丹後郷土資料館・ふるさとミュージアムで石川晴彦の下図を中心に数百点見せて貰った。

その過程で知った書籍「仏画に美を求めて(石川晴彦 著,石川晴彦著書刊行会)」を、数ヶ月前に古書サイトでリクエストしておいたのだが、漸く今日入手出来た。
扉に自筆の署名がしてあって、随筆と作品写真(カラー&モノクロ)からなる中々貴重な本。
私なりの、健全な知的向上心と言っておいて良いだろうヽ(^o^)丿

# by tennkozann | 2022-06-28 14:28 | Comments(0)

滝川流念仏解説。

滝川流念仏解説。_f0211225_16272534.jpg
浄土宗の結論は言うまでもなく「只一向に念仏すべし」です。
専門的には「結帰一行三昧(ケッキイチギョウザンマイ)」と言います。

これは南無阿弥陀仏と称えることが「選び取られた」結果である事を言っているのですが、その「選び取られる」と云う事はどの様な構図になっているのか?

段階的に説明をするなら、人間の生活を物質(経済)生活と精神生活に分けて、精神生活に焦点を当てるという選択。
その精神生活の中身は各種(宗教・芸術・哲学)考えられますが、その中で宗教を選択。
そして更に宗教の中で仏教を選択して仏教の中の大乗仏教、その中の大きな二つの流れ「聖道門と浄土門」のウチ浄土門。
浄土門の中の正行と雑行のウチ正行を選び、その正行を五種類に分け、その中に漸く口称の念仏、詰まり「南無阿弥陀仏」があるのです。

そしてそれは一体何のための選択であったのかと言えば、人間が色々の苦しみから真に「解放」されるための選択であったと言えます。
その「解放」を「悟り」と呼んだり「往生」と呼んだりもしますが、言い換えればそれは人格の完成であり、完全なる自由と言うことも可能です。

前に書いた「選び取られる構図」の第一段階「物質(経済)生活と精神生活」のウチ、物質(経済)生活ばかりに焦点を当てた生活が、必ずしも人間を幸せにはしないのだと云う事は、誰もが知る人間の真実です。

また「聖道門と浄土門」と云うことも書きましたが、聖道門は難行苦行に満ちていて、我々凡人の出来る範囲を超えています(テレビで放映されることのある千日回峰行などがそれです)。

その為、元祖法然上人は阿弥陀如来の本願(仏様の元々の願い)が、いつでも誰にでも実行できる「お念仏」なのだと云う事を立証し・実行し我々にお教え下さったのです。

(或る必要があって、超初心者向けにこんな解説を纏めてみた)。




# by tennkozann | 2022-06-27 16:32 | Comments(0)

益者三友・損者三友

益者三友・損者三友_f0211225_15303810.jpg「知人友人」を四字熟語と言うのかどうかは知らないが、言い回しとしてそれはある。
「知己朋友」というのは四字熟語としてあるのかも知れない。
いずれにしろ自分と何等かの接点のある人の事だが、親密度で知人と呼ぶのか友人と呼ぶのか?その区別をするようだ。

ところでかの成吉思汗(ヂンギス・ハン)の側近で財政問題に手腕を発揮した耶律楚材(ヤリツソザイ)と云う人があった。
この人が常に口にしていた言葉に「一利を興(オ)こすは、一害を除くに如(シ)かず」と云う言葉がある(十八史略)。
早い話が「有利なことを一つはじめるより、有害なことを一つ排除するほうが大切だ」という意味合いである。

この事は実は自分の「知人友人」に関しても言えるのではあるまいか。
社会生活を営む上で、色んな人間関係が出来上がる。
それは同じ業種の団体に属する者であったり、取引先の相手であったり・・・だ。
若い頃には何かと人脈を広げておくという必要性も無くは無いであろうが、或る程度の年齢になると、その取捨選択は適切にやっておく必要がある。

私が今なぜこの事を思うのか?
お盆には何かと門中の和尚達と接点を持つ。
その必要上、余程の事が無い限りその事を忌みはしないが、今年は「あのうすら馬鹿とは顔を合わせたくも無い!何はともあれ一害を除くに如(シ)かずなのだから」と思っている。

益者三友・損者三友と云う言葉がある。
益者三友とは『正直な人・誠実な人・博識な人』
損者三友とは『体裁ぶる人・不誠実な人・口先のみの人』。

例のうすら馬鹿は損者どころか害者以外の何ものでも無い。

# by tennkozann | 2022-06-23 15:32 | Comments(0)