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贅言とは 言うまでもなく 言う必要のない事・・である


by tennkozann
f0211225_17290989.jpgテレビを見ていると、何やら吉本興業に関する報道ばかり。
別段興味があるわけでも無いが、各チャンネルがあれほど繰り返し侃々諤々の議論を繰り返していると、ぼんやり全体像は見えてくる。

しかしテレビに出ているコメンテーターの類いも、視聴者の反応に配慮しながらの発言であるし、時には他局の対応を視野に入れた指示が出ている(らしい)範囲での話をしようとしている人物もある。

テレビ各局の対応は参議院選の結果よりも圧倒的に吉本興業の問題の方が重要と言わんばかりの対応。

なんだかなぁ~~~と思う。

しかしそれにしても世の中がどんどん変わっていっているだけに、あらゆる分野で不適切な対応というものが次々と出てきているように思う。

芝居小屋か演芸場で芸を見せていた芸人に「テレビ」という場が与えられた。
歌手だってラジオの時代は、外見の重要度は低かったであろうし、歌手のアクション振り付けというものが大きく人気に影響することは無かったに違いない。

詰まり「テレビ」という場は、芸能の世界に大きな影響を与え、その芸人達を束ねる興業会社にも大変化をもたらしているようである。
その変化を巧みにとらえていない限り、今の世に適さない不適切な対応というものが続出するようである。

それが更に、今ではあらゆる情報がネット配信される時代。
この大変化の下では、ものの50年も経てば、今ワイドショーなどが深刻ぶり、出演者が口角泡を飛ばして議論していることなど、実に愚かしい蝸牛角上の争いに過ぎないと云うことに成るのでは無かろうか。

私は本来、能書きだけをたれる評論家的な態度は嫌いであるが、事こういう騒ぎにはお気楽な評論家で居ようと思う。
呵々!

# by tennkozann | 2019-07-23 17:31 | Comments(0)
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私が僧侶になろうと決意したのは確か32歳の時。
私は父が38歳の時の子供なので、そうすると父が70歳の時に私はその事を父に伝えた。

70歳、詰まり今の私の年である。

多分その頃の父は、種々理由はあるものの、そろそろ僧侶の仕事に疲れ始めていた。

もし私に年若い息子があって、今の時点で後を継ぎたいとでも言った日には、いきなり住職という仕事に対する疲労感が吹き出すのかも知れない。

ただ、まだ然るべき後継者を作り得ていない事と、昨年末親縁寺が急逝したことを受けて、何かにつけてもう少し頑張らなければならない状況が発生したので、自分の疲れに焦点を合わせていないだけだと・・・そんな思いが無くも無い。

その約2年後、私は西楽寺住職となったが、父は確かに西楽寺住職に疲れてはいたものの、まだ余力もあって、本来寺の復興や、姉が嫁いでいたお寺の正常な運営に手を貸そうとした。

しかし傍目に見ていて、父のやり方は殆ど空回りに近かった。
多分、自らの成功体験をそのまま適用しようという無理があったからでは無かろうか。

反目し合っていた父だが、否!反目していたからこそ、私は僧侶になってからの自分を、その年齢に近かったときの父と比べることをしている。

ふむ!
父には申し訳無いが、中々良い反省材料になるでは無いか(^^ゞ

# by tennkozann | 2019-07-22 16:32 | Comments(0)

素晴らしい展示会!

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題名「書画で辿る丹波偉人傅」に託されたコンセプト、展示書画の内容、展示方法、観る人に対する配慮等々、太田君の気持ちがその場に独特の空気を作っているとさえ言える素晴らしい展示会。

昨今「手作りの味」などと云うことが何かにつけて言われるが、多くは単に稚拙なだけの出来上がりにその言葉を添えて得々としている作品もどきや展示会もどきが多すぎる。

この太田君の展示会は、本当の意味での手作り感満載である。
この「書画で辿る丹波偉人傅」はシリーズ化して年に数回開催し続けるのだと意気込んでいる。
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ほんの僅かでも文化人を標榜し、丹波の歴史に蘊蓄を傾けんとする人間は,決して見逃してはならない展示会だ。

忙しい表具の仕事、その合間をぬってよくぞ開催したモノだと思う。
多くの現代人が忘れようとしているモノを、静かに「それでいいのですか?」と問いかけてくるような展示会。
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展示作品に関係する参考資料も取りそろえてある。
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展示品作者のプロフやエピソードがカードに作られ、希望者は持ち帰ることが出来る。

嬉しい展示会だ。

# by tennkozann | 2019-07-21 15:59 | Comments(0)
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高齢者であることの自覚を迫ってくる、自動車免許の高齢者講習会、遂に案内が来た(^^ゞ

葉書を受け取ったらすぐに予約をしろという旨が記されていたので、最寄りの教習所に電話を入れたら、講習日は最短で10月10日と云う事になった。
こんな所でも団塊の世代の過密ぶり?を味わう。

一緒に配達されていた郵便物は、高校時代のクラスメイト中一番の世話好きHからのもの。

過日文珍師匠の独演会後のプチクラス会レポートだ。
これを、連絡の取れる全てのクラスメイトに出しているのだろうか?
こんなまめな真似は、私には到底出来ない。

当日のスナップやA4にびっしり彼の書いたレポートが同封されていた。

その中に・・・進学クラスでありながら教室内にローラースケートが走り回り、高校2年時の担任が「こんなクラス叶わん」と投げだし、急遽出番となった河南先生にお世話になりました。
その恩師河南先生の17回忌にローラースケートの張本人の滝川と先生のご自宅に伺い、仏前にお参りして奥様と思い出話が出来ました。
滝川は、いえ滝川和尚は河南先生が亡くなられた3日前に枕元で最後の説教を(先生に望まれて)したそうで先生の奥様にも絶対的な信頼感をもたれていました。
(滝川さんが丸くなったとTちゃんが言っていましたがその通りです・・・云々・・)

あはは、色んな事を思い出させてくれる(^^ゞ
ただ一点、間違いは、私は説教などしていない。
他の真面目なクラスメイトが知らないような思い出話を、亡くなる3日前の先生と1時間ばかり話をしただけ。
その際先生が、「滝川!わしが死んだらお経上げてくれよ」と話され、その約束を守った・・・と云う程度。

70年の人生・・・まぁなんだかんだ好き勝手をやらせて貰った。
此からは・・・と殊勝になりそうなモノだが、多分これからも好き勝手を貫かせて貰おう!(^_-)-☆

# by tennkozann | 2019-07-20 17:47 | Comments(0)

難しいモノだ(^^ゞ

f0211225_19533500.jpg城山で日の出を見ようとすれば暗いウチに登り始めなければならない。
その城山で夕焼けを楽しんでいたら、思い掛けず薄暗がりを下りていくことになる。

明るさから言えばその夕刻の方が朝の登り初めより僅かに明るいはずなのに、妙に気持ちの焦りを覚える。
多分、明るみに向かう暗闇と、更なる暗闇に向かっている薄暗がりとの差を原因とする心理状態の違いと云う事であろう。

或る本で読んだ話であるが、侵入しようとしている泥棒に「泥棒ぉー!」と声を掛けるのは危険なのだそうである。
その際はそのまま侵入してきて家人に危害を食える可能性が高いのだと。
声を掛けるなら、出ていこうとする泥棒に向かって、大きな声で「泥棒ぉーっ!」と声を掛ければ、近所の人にも声が届き泥棒は唯逃げるだけになるのだと云うことであった。
妙に納得だ。

1万円の出費があった場合、10万円の10分の1と考えるか、1000円の10倍と思うかでは随分と差がある。
10分の1と考える方には余裕があるが、10倍と考える方にその余裕が生まれるとは考えにくい。
私の出費に関する思いは昔からそうであるから、所持金の実態以上に潤沢に小遣いを持っているように思われている節がある。
しかしこの自分のスタイルは死ぬまで続けて行くに違いない。
たかだかお金の使い方で自らを萎縮させたくないとでも言えば良いだろうか。
こんな判断の際こそ「金は天下の回り物」という俚諺を信じれば良いと思う。

ところで平均寿命に照らし合わせれば、私の余生は後せいぜい10年である。
まだ10年あると思うかもう10年しか無いと思うか。
多分まだ10年あると思った方が良いのだろうが、事この事に関しては、私はもう10年しか無いのだと、妙に追い詰められ感にさいなまれている(^^ゞ

これまでの人生があっという間の出来事に思われるのに、その7分の1くらいしか残っていないのだと(^^ゞ

気持ちのコントロール、中々難しいものである(^^ゞ

# by tennkozann | 2019-07-19 19:55 | Comments(0)
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今日は雨の合間に上手く山に登れた。
それでも雨に出会いたくは無かったので一目散に下山して、少し時間があったのでJ寺に回って蛙撮影。

最近は蛙の習性もどきもなんとなく理解できるので、今回の画像シーンも、或る程度仕掛けてモノの見事に出来上がった光景。

少々ウキウキ気分で帰宅し、「蛙なん いざ!」紙の本用フォルダに入れてみると、イマイチ面白くない。
実に珍しいシーンではあるが、必ずしも良い写真・インパクトのある写真では無い。

不思議なモノだと思いつつ、多分人間の生活も殊更ドラマティックな局面が良い人生を作るのでは無く、ごくありきたりの毎日を、しかし極めて真摯に日暮らしする方が、良い人生なのだ、等と云う事を思う。
詰まり力強い平凡こそが大切なのだ・・・多分。

ドラマティックという言葉の所為か、もしくはテレビドラマの見過ぎなのか、ついつい人は自らの日常にドラマ(ドラマティックな出来事)を求め、その挙げ句「余り意味が無いな?」などと云う感慨を抱くのでは無かろうか?

今回の画像、確かに珍しいシーンではあるが、「蛙なん いざ!」紙の本のメイン写真には使わないこととした。

# by tennkozann | 2019-07-18 22:30 | Comments(0)
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言うまでも無く、人は何かにつけて判断基準というモノを持っている。
唯それはある種の厚みを持っている方が良いと思うのだが、意外な程薄っぺらなたった一枚の紙切れみたいな基準で全てを判断する人間がある。

例えば「権利・義務」という判断基準を持ち出して、自らの行動を決定する人間。
電車で年寄りが重い荷物を持って立っていたとしても、自分も同じ切符代を払ったのだから座席に座る権利があるのだと、見て見ぬ振りをする奴。
ましてやそいつは,重い荷物に手を貸すなどという義務はどこにも発生していないと言わんばかりである。

成る程成る程、権利義務という判断基準では何も間違ったことをしているわけでは無い。

時に某人を私に紹介してくれる人が、予備知識として、ほとほと感心した口ぶりで「とにかく凄い資産家なんですよ。事業成功者で」などと言われると、ん?サラリと教えてくれる分には良いかも知れないが、そんなに感心した口ぶりは何なの?・・・と思う。

世の中には何はともあれ走ることだけは誰にも負けないというのと同じく、金儲けだけは実に上手だという人間がある。
しかしそれに見合った人間的魅力が備わっていなければ、とても興味を持つ対象にはなり得ない。
ただ、いつも人物評価の前面に「経済の物差し」を持ち出す人間が居ることは確かだ。

頭の善し悪しというのは、中々大切な判断基準でもあろうが、しかし頭が良いからと言って行動を共にしようとすると、然るべき決断をする場面で裏切られることがある。
往々にして、頭の良い奴は何かと理屈を付けて自らのリスクを回避しようとする傾向を持っているものである。
ましてや頭の善し悪しを学歴で判断でもされた日には、訳あって小学校卒であった田中角栄が総理大臣になることは無かったに違いない。

何事か某人の判断に耳を傾け、その判断基準の薄っぺらさにため息の出ることが少なくない。

# by tennkozann | 2019-07-17 18:03 | Comments(0)
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住職になって30数年目になるが、色んな変化がある。
檀家数は30数年で20数軒減った(大半が跡取りが無く絶家)。
葬儀を執行する際の坊さんの数が激減。
30数年前は5~6人で執行するのがごく普通で、それ以上のことも再々であったが、最近は独葬であったり、多くても4人と云うところか。

別段欲しくは無いが(かつては寧ろ貰い過ぎて困っていた)、法事の際の粗供養の品が激減。
かつては車から降りて、1人では持ちきれなくて山門までよく家内を呼んだモノだった。

曰く毛布・タオルセット・急須と湯飲みのセット・台所用品・味付け海苔・干し椎茸等々、実用的なモノで妙にかさばるモノが多かった。
勿体ない話ではあるがとても消費しきれないほどであった。
最近は粗供養の品など無いケースがチラホラで、助かる言うのも失礼な話だが、それにしても変わりすぎとは思う。

個人的には、定期的に開催するお寺の役員会。
当時私は、役員会こそは自らの方針を精一杯主張できる良い機会であった。
勿論その分、反発もあったのだが(^^ゞ

最近は正直な所役員会の開催が面倒だ。
今更自己主張することも無いし、役員諸氏は私の方針を良く理解してくれて、極めて協力的。
有り難い話だが、それだけに開催が面倒(^^ゞ

今晩は恒例お盆前の役員会。
そう言えば、かつては1人ひとり用意していた役員会用の和菓子もやめて、お茶もペットボトル。

ひたすら楽になって行っているが、これが良いのだか悪いのだか?
蛙曰く「今昔の感に堪えませんなぁ~」と云うところか(^^ゞ

# by tennkozann | 2019-07-16 17:28 | Comments(0)
f0211225_16214330.jpg800回目は過日初めて私と登った旧友Oと。

例によって蛙の写真を撮りたいというので、先ずはJ寺で合流。
彼のために蛙を言い含めて、花の先っぽや蕾の所に移動して貰っても、功を焦る彼は蛙に不安感を与えて敏感にさせてしまう。

蛙写真に関しては、私の域に達するのに10年はかかるな\(^o^)/

その後昼食を摂って城山へ。
前回へばってしまった経験から、今回は私のペース(普段よりゆっくり)に合わせてゆっくりと登る。
登り切ったところで彼は「今日は一回だけの休みで上ってきた」と威張る\(^o^)/
ただ「滝川がゆっくり登ってくれてるのは知ってたけどな」と付け加えるところは案外素直!

下りを急坂コースにしたら、「帰りは楽勝だ!」と言いつつ、しかし最後のところで「滝川先に下りてくれ、足が痙攣しそうだ」と。

雨で濡れた岩肌を滑らないよう気をつけてゆっくり下りてきて、却って思いがけない負荷がかかったようだ。

転んだら即写真を撮ってやるからな!と、繰り返し言ってたら、彼は転ばないように座り込んでの休憩。

これから「月に一回は来いよ」と言ったら「そうやなぁ~」と。
私は旧友の体力維持と健康管理に寄与してやっている\(^o^)/
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写真はそれでも、彼が通うという写真教室の作品発表会に出せる程度の写真は数枚撮れたかも?だ\(^o^)/

# by tennkozann | 2019-07-15 16:24 | Comments(0)
f0211225_19175111.jpgカクテルパーティー効果という言葉がある。
ウキペディアによれば「音声の選択的聴取のことで、1953年に心理学者のコリン・チェリーによって提唱された」のだそうだ。

その具体例として「カクテルパーティーのように、たくさんの人がそれぞれに雑談しているなかでも、自分が興味のある人の会話、自分の名前などは、自然と聞き取ることができる」事を指すのだと説明されている。

多分誰でも日常的に経験していることでは無かろうか。
私は、数名の雑談の中で「和尚・住職・滝川」などと云うフレーズにはいつも敏感に反応する自分を感じること再々である。

ところで昨日文珍師匠と共に12名のクラスメートが食事をしたのだが、離れた所にいる女性が、隣の女性に話しかけている言葉が飛び込んできた。
話しかけている方はさほど私と親しかったわけでも無い女性。
話しかけられた方は、今でも時に話をする機会のある女性。

飛び込んできた言葉は「滝川君随分丸くなったねぇ~」と、それはその変化にほとほと感心するという口ぶりで話しかけられた。
話しかけられた方の返事は「そぉなんよ・・・」であった。
その後、どう話が続いたのかは確認できなかった。

私は・・・確かに遅ればせながら丸くなっている自分を思うことがある。
しかし!そんな口ぶりで言うほどの変化か?とも思う(^^ゞ

食事の中途で、私が何かを要求したことがあった。
そしたら隣にいた文珍師匠は「要求にすぐ答えないとこの男は暴れるよ」と云うような内容を冗談ぽく口走っていた。

高校時代の記憶が多少デフォルメされたり誇張されたりしていると云うことはあるに違いないが、それでも、私というキャラの或る意味で特徴的な部分が浮き彫りにされるとでも言えば良いのか。

旧友との再会の一つの楽しみであろうか。

# by tennkozann | 2019-07-14 19:19 | Comments(0)