贅言とは 言うまでもなく 言う必要のない事・・である


by tennkozann

民芸論の周辺

f0211225_18003950.jpgもうそろそろ二年になろうとしているが、まだ私の著書「丹波布復興の父・金子貫道」に関してぐずぐず言っている輩が有るのだと仄聞した。

然し発行後ひとりとして、私に直接文句を言ってきた人間は無い。
おかしな話だ。

前書きを書いてくれた兵庫民芸協会会長の笹倉さんは『滝川さん、そんな連中と同じ土俵に上がるのは馬鹿馬鹿しいですよ』と言ってくれるが、実は話がチョット違う。

私は最初から土俵に上がっているのだ。
それを枡席の何処かでやじり続けている輩があるのだ。
『文句があるならこの土俵に上がっておいで』と、私は丁重に誘っているだけの事であるが、一向にその気配が無く、愚かしいヤジだけが聞こえてくると云うところである。

立場が変わって私にも言い分が有ると云う状態になったら、私は独自に論陣を張る。

そんなこんなをぼんやり考えていたら、件の笹倉さんが、「兵庫民芸」第50号に「模倣について」と云う興味深い論考を発表された。
手渡されて『又感想を聞かせて下さい』と。

それで私は3回ばかり目を通して、思いつくままを箇条書き程度にメールで送った。

同氏の返信メールには「コピーして詳読解説文として冊子に付記しておきます」とある。
おっと、それなら誰の目に触れるか分からないので、急いで追加の文章を送っておいた。

それはほぼ以下の通りの内容である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の知る限り『自分』を表す漢字のウチ「私」だけは、他の「我」や「己」と異なって「私する」というサ変動詞として使われることがあります。
この事に着目すると「公」の意味合いを深く吟味出来ます。

まず「私」という字はノ木偏にカタカナのムのような旁となりますが、これは収穫した穀物を所有(独り占め)している字です。
その独り占めに抵抗するのが「公」の上部の八。

その意味合いから公vs私は対立概念となるのですが、三宅と書いて『みやけ』と読むように、公は「大宅」で、日本の場合は皇室が国家全体を一つの家族とみていることに関連してきます。
その意味で皇族には、所謂苗字が付けられないのです(私心を持たない)。

これらのことに思いを巡らせる時、『私する』には、僅かに悪い意味合いが漂い、その私心の動き出すところからあらゆる間違いが発生するという風に考えられます。

柳の繰り返し述べている『無名性』であるとか『伝統』『分業』或いは『素早く沢山の物を作る意味』等は、悉く私の考える「公私の対比」から説明出来ると考えます。

それらを踏まえて、「作品には自分が現れる」だとか「個性」だとか「模倣」だとかを考えないと、所詮思いつきの感情論になってしまうのでは無いか?と考えます。

『私心』は、自分勝手の始まりですが、物作りに於いて『制約』があればあるほど、余計な自分が入り込まなくなります。
そういう意味で木工は最も制約が多い部類の仕事なのでは?と思います。
言うまでも無く『伝統』も或る種の制約ですが、その制約を受けて(受けるからこそ)美が現出すると云うところが、柳美学を宗教的に深掘りしてみなければならないところだというのが私の考えです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

丹波布に関して何かを語る場合も同様であるが、私はついぞ寡聞にして、丹波布関係者がこのような視点で自説を展開しているのに触れた事が無い。

私の著書にぐずぐずを繰り返しているらしい有象無象と、こういう視点を踏まえて議論出来れば面白いと思うのだが、キャツらはついぞ同じ土俵に上がってこない\(^o^)/

画像は本年の一日別時で参加者に渡すつもりの団扇原稿。
昨年と同じ図柄だが、周辺の色を変えてみた。


# by tennkozann | 2019-02-13 18:04 | Comments(0)

待ってみるものだ

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とっくに入金があって良いはずの僅かな印税が今朝振り込まれてきた。
時々何でも無い時に『そう言えばアレどうなってるのだ?』と思い出す事もあったが、すぐさま忘れてそのまま放置しておいた。
然し流石に必要書類を送付してヒト月以上そのままだったので、問い合わせしてみるかな?等と思っていた。

そうしたら今朝の入金で、多分月末自動的に振り込まれるようなセッティングがされていたのでは無かろうか?
ただ、もしそうとしても、指定された必要書類を送った際、相手方から受け取ったという連絡くらいあっても良いと思うのだが、然しそれは私の問題では無く相手方の問題だからとやかく言う必要も無い。
相手方は相手方独自のルールに従って対応していると思っておけば良い。

私は金銭に関する事だけに、なんだか切羽詰まったようにか、もしくは欲に翻弄されているかの如く、こちらから慌てて要求するような事をしなくて良かったと思う。

或る時、某法要で、特別の事を勤めて貰った二人の和尚に、お布施の入れ忘れと云う事があった。
担当者が焦って私に相談してきたので、ひとりの和尚に確認したら、彼は帰路の途中であったらしく「あぁそうだった?」という受け答えであった。
勿論後日礼を尽くして送金するという事を伝えた。

その直後。
別のもうひとりの和尚が慌てて電話を掛けてきた。
「お布施が入ってない」と。

勿論落ち度はこちらにあり、その和尚はお布施を受け取る権利を行使しているのだから何の問題も無い。

しかし!
少し時間をおいて、こちらからの詫びの電話を待ってた方が良かったのじゃ無いだろうか?と思う。

金銭の問題だけでは無く、焦って結論を出したり、自分の思い込みで何かの決めつけをする人間がある。
他人事ながら、もう少し待ってみれば良いのに!と思う事がある。

# by tennkozann | 2019-01-31 10:07 | Comments(0)

君子自反す

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自らの現状が必ずしも順調で無い時、それを悉く他の所為にするという種類の人間がある。
人を恨み時代を恨み不運を愚痴るという類いである。
一言で評すれば実に救いがたい。

自らの現状は悉く自らが引き起こし自らが呼び込んだ現実なのだと受け止めなければ、その現状が根本から改善されることは無い。

古稀を誇るわけでは無いが、70年も生きてくれば、その事が火を見るより明らかなこととして分かる。
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人・時代・運を悉く悪者にして、返す刀で、自らを正当化する。
然しその正当化された自己とは、惨めさを自覚する自己でしか無い。
手を変え品を変えして何を語ろうとも、遂に心底其れで満たされないことを知るが故に、同じ事を繰り返す。

そしてそのウチ、自らの現状に至るプロセスを、自分に都合良く徐々にデフォルメしていく。
それは自らを正当化せんが為の知らず識らずの事でもあろうが、いずれにしろ、自分の現状を根本から改善する事に全く寄与しないものである。

誰しも謙虚に、「君子自反す」の語を拳々服膺して、深く未識する必要がありはしないかと、私は思う。

# by tennkozann | 2019-01-21 17:20 | Comments(0)

独りと云う満たされ感

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対義語もしくは反対語というのは、小学校から高校まで、国語の試験に出てくる一つの項目と言って良い。
単純なものから僅かに頭を悩ますものもある。

例えば「無言」の反対が「有言」であるかと云えばそうではないかも知れない。
なぜなら「有言実行」の反対が「不言実行」なのだから、「有言」の対義語は「不言」と考えた方が良い。

そうとすれば「無言」の反対は「有言」とするのでは無く、「多弁」ないし「饒舌」と考えるのが穏当では無かろうか。
尤も「多弁」の反対は「寡黙」と成るかも知れないので、対義語も文脈によって異なる場合がありそうである。

と、左様な事はひとまず措いておいて、対義語が存在するからと言って、対義語が示す事柄・状況が、対立的もしくは二律背反的に存在するなどと考えるのは愚かなことである。
特に人間の心境に関しては余り単純に考えない方が良い。

例えば『苦』の反対は『楽』であろうが、現実の人間に於いては『苦しみの中の楽しみ』という状況は紛れもなく存在する。
勿論、それは『苦しみの中に潜んでいる楽しみ』であったり『苦しみのウチにこそ味わえる楽しみ』或いは『苦しさを楽しんでいる』などと云う言い回しになるのであろうが。
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私は正月に2人の子供、それぞれの配偶者、そして3人の孫と計7人と楽しい時間を過ごした。
そして独りの生活に戻っている。

この独りは、淋しいでしょ?と問われるそれではなく、正月に皆が揃ったぬくもりの中にある実に満ち足りた独りである。

この曰く言い難い「独りと云う満たされ感」を上手く表す言葉が無いので、つい前半のような駄文を弄したと云うところである(^^ゞ

画像は昨日の保月城・雲海。

# by tennkozann | 2019-01-08 18:35 | Comments(0)
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60代が、その最終局面で激震。
そして本日めでたく?古稀に突入(^^ゞ

昨年50年来の友人CG作家の八木が亡くなった。
亡くなるヒト月ほど前に連絡してきて、もしもの際は導師を頼む!と。
お盆が近づいていたのと、彼の入院先が京都だったので思うに任せなかったが、三度見舞いに行くことが出来た。

そして本年早々、世界が注目していた陶芸家神埼紫峰先生が急逝された。
せめて年内にもう一度お参りを!と思って、過日漸くお参りすることが出来た。
仏壇に飾られている写真は、生前の神埼先生そのもの。

10日ばかり前には、寺院住職として盟友とも呼ぶべき親縁寺が亡くなった。
60日足らずの入院で亡くなってしまったが、多分入院日数よりは回数多く見舞いに行けた。

私と彼の関係を知る人間が、私の顔を見て泣き、そしてその後も私の心境を気遣ってくれる。
しかし、私の立場では、それなりに悔いを残さなくて良い納得のいく送り方が出来たと思っている。
彼が住職をしていた三ヶ寺のことをはじめ、この先のことが何かと大変だが、焦らずじっくり誰もが納得する答を出そうと思う。

人と比べるものでも無かろうが、どちらかと言えば私の人生はどうも平々凡々というものでは無い。
何が起因するのかは分からないが、じっくり深く味わって、そして伝えるべきを縁ある人に伝える・・・そういう事が今後の使命であろうか?

何はともあれ今日から古稀だ!
古来稀に見る元気な70歳を生きてみようじゃ無いか!・・・と思う(^^ゞ

写真は阪神間のお参りを済ませて帰宅途中、篠山市内で出会った見事な虹。
七色に輝く私の老後か?\(^o^)/


# by tennkozann | 2018-12-27 18:07 | Comments(0)

弔辞

f0211225_20015222.jpg今日(親縁寺の葬儀)の想い出のためにアップしておこう。

弔辞
親縁寺さん
しばしアナタとの想い出を綴ってみようと思います。

私が西楽寺住職として晋山したのは昭和58年。
確かその前年くらいから アナタとはよく酒を酌み交わしながら僧侶のあり方について熱く語り合いました。

私の晋山から遅れること3年、アナタも親縁寺第32代住職として晋山されました。
それからというものは 互いに一ヶ寺の住職として、地域社会に於ける 寺院のあり方や、その運営方法について、又々繰り返し熱く語り合いました。

そんな対話の中で 互いの来し方を徐々に理解するように成り、その事で互いに 全く異なる個性を作り上げてきていることを、確認し合いもしました。

私に比べて、アナタは全く手を抜くと云うこと、少し自分をいたわると云うこと、そして言いたいことを言い したいことをすると云うことをしなかった。
そういう意味で、些か頑なで生真面目で窮屈であったかも知れません。

またアナタは、自身の生活が順調に運んで居る時、その事を満喫しようとせず、寧ろその状況にある種の違和感を感じる風ですらあった。
詰まり、そんなに人生が順調に運ぶわけが無い、思うように成らないのが人生なのだと、 そんな風に結論づけているところがあった。

ゆえにも幸せを満喫することが出来ない、そして人に甘えることも出来ない、堪(た)え 我慢をする、其の方が居心地が良いのだと言わんばかりの日々を送った面がある。

「西楽寺さんみたいに言いたいことは普通言えませんよ」と アナタはよく言った。
或いは又『西楽寺さん!もうチョット真面目に掃除したらどうですか?』と注文を付けることも再々でした。
「もぉ見てられんし」と、私の掃除を手伝ってくれることさえ有りました。

浄土宗僧侶の世界に「1掃除 2勤行 3学問」という言葉があるのは 誰でも知っているところですが、 アナタは常に「1掃除 2掃除 3掃除」の人で、「理屈なんかその後に付いてくるもので、そうで無ければ説得力なんか有るはずが無い」と、ほんの少し怒りを込めて語ることもよくあった。

私とアナタは全く異なる個性を異なる方法で、寺院運営の上に展開した。
然しそれでも尚、アナタは 私のすることが参考になると言い、組織として何事か行動を起こす時、アナタは私の一番の理解者でした。
勿論 私がアナタから学んだことも少なくない。

本年五月 アナタは自坊で2回目となる五重相伝を開筵しました。
丹波地域に於いて、親縁寺さんの規模で、住職約30年の間に2回の五重相伝を開筵するなどというのは、通常並の和尚に叶うことではありません。
其れをアナタは見事にやりきった。
そしてなんと、この私を勧誡師に指名して「西楽寺さんのための五重ですよ」とアナタは繰り返し言いました。

病床でも又その事を繰り返し、「西楽寺さんの勧誡で無ければ自分が2回目の五重相伝をする意味は無かった」とも語りました。
此の際の貴方の勧め・誘いが無ければ、私は遂に五重相伝の勧誡14席の講話をするなどと云うことは 無かったに違いありません。

果たして、此の五重相伝は、実に充実した五重相伝と成り、受者から多くの賛辞が寄せられました。
 
其の中に、私とアナタが実に良い組み合わせだ、良いコンビなのだと書いてあるものが少なくなかったのは 記憶に新しいところです。

アナタは謙虚に「西楽寺さんとコンビだなんて・・・」と語ること再々でしたが、正に礼記(らいき)に在る如く「十目(じゆうもく)の視る所 十手の指(ゆびさ)す所」で、少なくとも私にとっては、アナタあってこその私でありました。

本年十月の末であったか、アナタは可成り絶望的な担当医の所見を確認して、そして確かに力を落とした。

然しその後、急遽一時帰宅を願い出て、そして実に緻密に記録している3ヶ寺分の過去帳 その他を私に託して「後を頼む」と言いました。
その際、窮屈なアナタは、声を出すことすら大変な状況にも拘わらず、親族を前に私と矢野総代を加えて、一座の挨拶をしました。
あぁ この律儀さが この丁寧さがアナタを苦しめてきたのだと、私にとっては辛い挨拶でした。

確かその夜であったか、アナタは「それでも西楽寺
さん、これで漸く楽になれるかという思いもあるのです。15の時から親下を離れ、僧侶の生活50年、漸く肩の荷が下りると、そう思う私がいます」とメールしてきました。

アナタの諸々をよく知る私としては、アナタのその感慨が切ない。 辛くなる。
私は今日、アナタの指示に従って導師を勤めさせて頂きます。 
然し通常の香語をアナタに手向(たむ)けようとは思えず、唯の一言『還来穢国 度人天』とのみ伝えました。

言うまでも無い『疾(と)く この世に帰りきたりて 我ら凡夫に力を与えて下さい 我らを正して貰いたい』 との一言です。
しかし、生身の友人としては、ほんの少し私はアナタに休んで貰いたいと思う。
少しのんきに、気を抜いて、多少いい加減な時間を過ごして貰いたい。

アナタはよく堪え よく頑張り よく尽くした、心底そう思う。
その窮屈さがアナタの命を縮めたとも思う。
然しアナタが寺院運営上に残したものは少なくない。
これは社交辞令でそれを言うのでは無い。

又病床で吐いた数々の言葉は 「鳥の将(まさ)に死なんとする、その鳴くや哀し。 人の将に死なんとする、その言ふや善し」 です。
縁ある人々に伝えて行こうと思います。

後のことは私に任せてくれて結構。
其れを充分こなし得る力が私にあるわけでは無いが、アナタとの友情を裏切らないために 私は全力を尽くす。
親縁寺さん! 浄土で再会出来る時、アナタに胸が張れるよう私は約束を果たす。
そしてその時は、互いがまだ住職で無かった時代まで 時計の針を逆回りさせて、  
大いに飲み大いに語ろう!

愛愍覆護我 令法種増長 此世及後生 願佛常攝受   
南無阿弥陀仏

画像は、私も親縁寺も属する明照講の面々で木喰仏を巡った際のもの

# by tennkozann | 2018-12-21 20:07 | Comments(0)
f0211225_22173736.jpgこの写真が僅か1年3ヶ月前。
高速を使って何処かへ向かっていた際のことだ。
ソフトクリームを食べたくなった私が、「髭を生やした坊さんがソフトクリームは似合わないからアンタ買ってきてくれよ!」と。

「えぇ~又ですか?」と彼。
私はいつも自分の厭なことを人に押しつける(と云うキャラで押し通している)・・・其れを彼は受け入れる。
そんな関係が37年も続いた。

全く異なる個性が、然し地域社会に於けるお寺のあり方という一点では殆ど意見の食い違うことが無かった。

彼は、必ずしも周囲に正しく理解されていない面が少なくなかった。
そして彼は堪え、我慢をし、自分を押し殺して、然し決して人から責められることが無いように細心の注意を払う、そんな生き方を選んでいた。

彼は何かが順調に運んで居ると、時々その事にある種の違和感を感じる風ですら有った。
詰まり、そんなに人生が順調に運ぶわけが無い、思うように成らないのが人生なのだと、そんな風に結論づけているところがあった。

だから其れは幸せを満喫出来ない、そして人に甘えることも出来ない、堪え我慢をする、其の方が居心地が良いのだと言わんばかりの日々を送った面がある。

彼の実像は、この写真にどことなく感じられる、ひょうきんさこそがその正体であった。
然し其れを理解する者は必ずしも多くなかった。

本年五月、彼は二度目の五重相伝会を開筵した。
彼の言いぐさは『西楽寺さんが勧誡をやってくれるならやります』に始まって、繰り返し『この五重相伝は西楽寺さんのための五重ですよ』と言った。

病床の彼と確認し合った。
『私は亡き妻と34年連れ添い、その間に子供を授かり、その子供達がそれなりに一人前になってくれた。アンタとは37年だ。その37年で、2人で育て上げたものの結果が5月の五重相伝だったな』と。

闘病中の彼とは、彼と私だけで共有出来る、言葉では言い尽くせない微妙な感慨を確かめ合うことが出来た。

何もかも、全て肩の荷を下ろすことが出来ました、とそう呟いているような安らかな顔になってくれた。
まだ暖かさが残る段階から、すっかり冷たくなってしまった段階まで、幾度となく彼の顔に触れ、然しもう話すことは無い。
起きるはずも無い彼に私はただ『おい!おい!』と呼びかけた。
何かを期待してでは無い。
ただ呼びかけたかっただけである・・・。

# by tennkozann | 2018-12-18 22:24 | Comments(0)
f0211225_18271757.jpg「余り好きじゃ無いだろうけど来ないか?」

旧友Aが主催?するランチ会なるモノに誘われた。
メンバーは10人足らず。
場所は大阪。

確かに私が余り好みとするところでは無いが、メンバーは全て一応顔見知り。
私をよく知るAの誘いである。出かけることとした。

然しいざ出かけてみると集まったのは私を含めて4名だけ。
「Bは連れ合いが癌で自宅療養中」「Cは年老いた親が危篤状態」「Dは体調が優れない」「Eは昨晩年老いた母親が骨折した」等々・・・流石みんな古稀の前後(^^ゞ
笑えないけど笑ってしまうけど・・・やっぱり笑えないかな?

余程のことが無い限り、其れを構成するメンバーが予定通りに顔を出せるなどと云うことは『古来稀なこと』という意味で、長寿社会が実現しても70歳は矢っ張り古稀なのだ、と云うことにでも成ろうか?(^^ゞ

因みに当の私も、妻を喪って14年。
ほぼ快復したとは云うものの、必ずしも万全の体調とは言えない。
加えて60代の友人が癌で入院中。

昨日京都在住のドイツ人哲学者エルマー氏に出会ってきたが、彼が『滝川さん!将来の予定(希望)は?』と聞くので、一応85歳までは元気でいるつもりだと答えておいた。
何の根拠も無い、ただぼんやりと・・・だ。

いずれにしろ70歳の誕生日を直前に控えてしみじみ今という時間を噛みしめて生きなければならないと思う事頻りである。

# by tennkozann | 2018-12-14 18:29 | Comments(0)

自叙伝

f0211225_19243338.jpg丹羽文雄の自叙伝とも言うべき『佛にひかれて わが心の形成史』を一気に読んだ。
最近は電子書籍ばかりを読んでいたので、紙の本を一気にというのは珍しい。
それくらい面白かったと云うところである。
面白いと云うより興味を引いたという方が正しいであろうが。

波瀾万丈と言うべき実母の人生と、或る意味で放蕩の限りを尽くしたとも言うべき父親について、そしてその2人の人生を狂わせる原因と成った祖母(母方)の存在、それらに関して露悪的とも評されるが如き書きぶりである。

然し読み終えてみれば、実に慈愛に満ちた、両親の生き方に対する理解と成っている。
そして其れは、丹羽文雄が浄土真宗のお寺に生まれ育ったこと、還俗するものの後年親鸞の思想を深く吟味したことと深く関係している。

ここまで苦しみもがき、そして人間を吟味しなければ、悪人正機説のなんたるかを真に理解することは出来ないのだ!と言わんばかりである。

子供の頃母の書棚に丹羽文雄の小説が数冊有ったのを記憶している。
久しぶりに出会った姉に確認したら、姉の記憶でも母の書棚に丹羽文雄の小説が少なくなかったと記憶していた。

母は丹羽文雄の小説に何を読んでいたのか?今となっては知る由も無い。

そろそろ私も古稀を迎える。
丹羽文雄宜しくどろどろの自叙伝でも書き残そうか?と思わなくも無いが、まだ今の私には、自分の所行の全てをしかるべく分析する力は無い。

まぁもう少し長生きしてみての話である(^^ゞ

# by tennkozann | 2018-12-11 19:26 | Comments(0)

生き返った?(^^ゞ

f0211225_11380691.jpg紛れもない老いと、案外残っている若さを同時実感(^^ゞ

一昨日某慰労会で思いも掛けない胸の痛みに襲われた。
飲酒を始めて2時間弱経っていただろうか?
幾つかの遠因は予想が付くが直接的原因は飲酒。

最近いつも出ている目の症状は、チョットペースを緩めることで回避出来たが、その後に襲ってきた胸痛は半端でない。
脂汗が出てきて、店の外に出てシャツ一枚になった。

軽い吐き気でほんの僅かに唾液程度を吐いた後、一旦落ち着いたが、又即胸痛が襲ってくる。
堪らずタクシーを呼んでひとり先に帰宅したが、タクシーの運転手も気持ち悪かっただろう、車中でずっと唸っていた(^^ゞ

帰宅後も胸痛は続いて(僅かに和らいでいたが)、真面目な話この今の年齢で死ぬとなればこの苦しみを味合わなければ死ねないのか?等と云う事を考えていた。

浅い眠りに就くが1時間もすれば痛みで目が覚める。
そして朝。
本堂ではいつものメンバーの叩く木魚の音が聞こえるが起きる元気は無い。

9時くらいであったろうか、体全体が硬直していると云うほどに凝っているので、Tm君にマッサージをお願いした。

その段階で胸の痛みは、その残骸を感じる程度に収まっている。
マッサージも間違いなく効いた。

後はひたすらごろごろして一日を過ごし、夕飯までに食べたものはヨーグルトを二個だけ。

翌日のお念仏を休む旨いつものメンバーに電話をいれ、とにかく我が儘な時間(体の求めに応じる)を過ごす。

硬直気味の体をほぐすために入浴すること三回。
その都度即深い睡眠を繰り返すことが出来る。

Taさんから届けられていた海苔巻きを三切れ食べる事も出来た。

そして今朝。
なんと嘘のように元の自分が戻っている。
勿論気をつけて過ごしているが、全く普段通りの生活が可能でもある。

私は、紛れもない老いと、案外残っている若さを同時実感している気分だ。
入院して40日近くが過ぎたSサンを見舞いに行った帰り際(基本的に毎日お見舞いに行っている)、お大事に!と言われて「今のアンタにお大事にと言われるのも変なモノだ」と笑って帰宅した。


# by tennkozann | 2018-11-30 11:41 | Comments(0)