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過日某社の社長から同社に寄せられる信じられない苦情について話を聞いた。
いちいち内容を書きはしないが、いちいちがひどすぎる。
その社長は確か今年還暦、私とは10歳の年の差がある。
しかし二人の間に大きな価値観の差は無い。
しかるに、その信じられない苦情というのは、一時マスコミを騒がせたモンスタ^ペアレントの言い分と軌を一にするものである。

二人で「何だろうねぇ~」と、唯々信じられない思いで溜め息交じりの会話に終始するしか無い。
ただ、その溜め息交じりの話の中で、私が思いついて言ったのは、「何を言っても=表現の自由=であるとか=個性の尊重=などと云う範疇で、それは許されているのだ」という思いが蔓延しているのであろうか、と云う事である。
もしそうとすれば、そういう状況を引き起こしている根っこの問題はなかなか根が深いものではある。

それはそれとして、昨日思いがけず京都を訪れることになり、時間があったので須田上人を誘って一度行っておきたかった金福寺を訪れた。
京都に向かう車中で、時間があれば金福寺を訪れようと誘い、その訳を話しておいたのだが、その所為か彼は金福寺の佇まいにいたく感激してくれた。
進入路の狭さが気になったようであるが、それは彼がこのお寺に心ある檀徒を連れてくるなら、と云う観点からの気がかりで有った様だ。
詰まりそれくらい彼は感激してくれていた。

今朝ネットでこのお寺に関する口コミというものをチェックしていたら意外や意外!?不満気味の投稿が僅かにあった。

曰く
①「何度行っても、大したものはありません。しかも有料云々」
②「たまたま道に迷ってたどり着いたお寺さんでした。 一言であらわすなら『微妙』(中略)とにもかくにも微妙。こじんまりとした良くも悪くもないお寺です。」
③「お庭はきわめて小さい。お堂の上には芭蕉庵があり、その周辺だけかろうじて紅葉しているといった程度。(中略)わざわざ立ち寄らなくてもよいかも。」

はぁ~?と私はため息が出る。

①のお前!
お前はただその場所に「大したもの」を見いだす知識も教養も感性も無いだけの話だろうが!
お前如きが喋るのは、はしたなくて聞いてられないってものだ!

②のお前!
お前は自らの感性で処理出来ないものを「微妙」という曖昧な言葉で表現するしか語彙の持ち合わせが無いだけの話だ!
お前如きが良いの悪いのと言う事自体、不遜に過ぎるってものだ!

③のお前!
バカ!お前の程度の者は確かにわざわざ立ち寄る必要は無いのだ!
世の中はお前レベルの者だけで構成されているわけでは無い!バカ!

とまぁ
今朝の老愚痴・老毒舌はその程度だ!ヽ(^。^)丿


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# by tennkozann | 2018-02-24 09:55 | Comments(0)

思い掛けず金福寺

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余程俳句好きの人はこのお寺を訪れるのだろうという金福寺。
芭蕉がここを訪れたことがあり、その後周辺の住民は此処の小高い所を指して「芭蕉庵」と呼んでいたのだそうであるが、芭蕉を慕う蕪村がここを訪れた際は荒廃しきっていたのだそうである。
そこで蕪村及び蕪村の一門が安永5年に再興したのが現存する芭蕉庵。
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ただ私が訪れたかった理由は其れでは無い。
私は、このお寺で尼僧・妙寿として生涯を終えた幕末の女隠密「村山たか」に対する興味から一度訪れたかったところ。

NHK大河ドラマの第一回目は舟橋聖一の小説「花の生涯」だったそうだが、そこで描かれた幕末の女隠密が村山たか。

その後、2003年には諸田玲子が「奸婦にあらず」で村山たかのことを書いている。
より史実に近い小説はこの「奸婦にあらず」の方では無いかと私は思っているが、その村山たかが、井伊直弼の女隠密として、反幕府勢力の情報を掴んだ事が安政の大獄に大きく加担したのだとされている。
しかし彼女は女性だと云う事で、三条河原に三日三晩晒されたものの、殺害を免れている。

その後、出家して生涯を終えたのが金福寺。
お寺に祀られていた彼女の位牌には「清光素省禅尼」と刻んであった。
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彼女の送った情報によって惨殺された反幕府側の人々も少なくなかったに違いないが、時代が変わって以降、尼僧として過ごす彼女は「素」で自らを「省み」「清らかな」「光」を浴びる晩年だったというのだろうか。

金福寺本堂の裏側にこんもり盛り上がっている場所に芭蕉庵がある。
蕪村のお墓もある。
そしてそこは京都市内を一望出来る高台。
曲がりくねった、自然石で作られた石段を、たか女は毎朝お茶湯を運び、来し方を思えば胸が締め付けられる高台から見る京都の町だったのだろうか。
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S縁寺さんが五重相伝のことに関して急遽京都に行くと云う事で私に声を掛けてくれた。
用事は2時頃に終わったので、此の際にと彼を誘って金福寺を訪れ。
更に歩いて数分の所にある詩仙堂も覗いてみた。
京都への車中で「村山たか」に関するチョットした解説をしていたので、彼は思いの外感激してくれた。

うん!
悪くない一日だった。

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# by tennkozann | 2018-02-23 20:12 | Comments(0)

事の成るプロセス

f0211225_09323951.jpg著述家は自分の文章中で、何事か注釈をつけたり、人の行動を解説してみせたりする際に、凝縮された自身の人生観なり人間観なりを見事に表現することがある。
否、寧ろ自身の文章の何処をどう切り取られても、それが余程客観的事実を表記したもので無い限り、著述家自身の人生哲学になっているものである。

過日来、海音寺潮五郎の新装版「西郷隆盛」を読んでいて次のような一節に出会った。
曰く

・・・凡人でももちろん大仕事の出来ないことはないが、それは長い間かかって段取りをつけ組織をつくり、努力を積み重ねなければならない。いわば事務であるが、英雄や天才はおのれの個人的迫力をもって一またぎに困難の谷間をとびわたる。いわば芸術である。不思議なものでこういう英雄の仕事には、運命もまたほほ笑みを向けてくれるのである・・・と。

何事か本気で「仕事」に取り組んだことのある人間は、大なり小なりこれに類することを経験するものである。
詰まりしっかりと自分ならではの目標を立て、目標を持つが故に中途の煩瑣且つ形式的な事務手続きなど面倒くさくて、多少強引に事を進める。
しかしその強引さは、決して私利私欲によるモノで無いだけに、周囲にある者も、手続きの荒っぽさに眉をしかめつつ文句の言いようが無い。
その結果、あれよあれよという間に事が成っていく、とそういう展開である。

私は事の大小を問わず、自らが信ずるところに従って何事か事業を推進する場合は、須くリーダーに、海音寺が言うところの「英雄的気分」で事を進めて欲しいと思う。

その結果は紛れもなく、運命にほほ笑みを受け、その事業が「芸術的仕上がり」を見せること請け合いなのだから。

今回の画像は本文と何の関係も無い私の高校時代。
紅顔の美少年?と云う事にしておこう(^0^;)

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# by tennkozann | 2018-02-20 09:34 | Comments(0)

大発見だ!(^^ゞ

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世の中にはとても蓄財にこだわる人が有る。
私は多分その真逆にあって、人からよく「少しは貯めることも考えなきゃ」と言われる。
大した収入も無いのに余程の、浪費家のように思われているらしいが、当たらずと雖も遠からずという所だろう(^^ゞ

ところで保月城登りを始めてから、今年は初めて年間365回を目指している。
ただ、年間通じて、お盆の時期などどうしても登れない時があるので、出来る時に蓄えをしておかなければならない。

一月は31日で35回登ったので蓄え4。
二月は一昨日までで19回登っていたので蓄えが3回有ったのだが、恒例の厄除け祭で身動きが取れず、今日の段階で蓄えは1回に減ってしまった。
明日から再開すれば、徐々に蓄えを増やすことも出来るのだが、本日早朝、急いでいて左足の指をしたたか柱に打ち付けてしまった。

正座を微妙にずらして一時間のお念仏。
その後も足を引きずり歩いていたのだが、痛いだけでは無く何やら足指に違和感がある。
靴下を脱いで確認したら、中指が左に曲がっている(^^ゞ
こんな症状で足指の骨折していた人を知っているが、私も折れているのかも知れない。

Facebookに写真入りでアップしたら、息子がメールしてきて「脱臼だったらそのままでは戻らないから、柔道整復師に見て貰うか病院・・・」と書いてきた。
彼は柔術の試合や練習の現場で骨折・脱臼を少なからず見てきているのだから、素直にその言葉に従うこととした。

そうすると明日整骨院に行くとして、保月城登りの蓄えがゼロになってしまう(^^ゞ

ふむふむ!
やたらと蓄財にこだわる人の考えが全く理解出来なかった私であるが、山登りの蓄えを通じて私は少し理解が出来るようになった。

確かに貯まるのが楽しい。
貯めるためなら多少の雨天で、人に何と言われようと登ろうと思う。
そして減るのが身を切られるように辛い。

なるほど!
吝嗇家の心理はこれであったか!と、私はトラブルを通じて大発見である(笑)。

画像は何の関係も無い嘗て訪れたことのある軍艦島のワンショット。

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# by tennkozann | 2018-02-18 19:10 | Comments(0)

神崎紫峰先生逝去

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人はいつもあっけなく死ぬ。
そして去る者は日々に疎しとばかりに、その日を境に人々の記憶からどんどん葬り去られていく。
ただ例外が無いわけでは無い。
ごく一部、亡くなって以降、残った者が噛みしめ噛みしめしてその人の偉大さを今更のように知るという、そんな存在がある。

一昨日急逝された神崎先生などが、多分そういう類いでは無かろうか。
何度か大病から奇跡的に生還され、チョット常人と違うモノを感じさせる人であったが、余程基礎体力が落ちていたのだろう、この寒さで肺炎を併発され、あれよあれよという間の逝去であった。

一昨日お悔やみに伺い、今日葬儀に参列し、一人の人間の死、そこに至る波瀾万丈の生涯もなにもかも、実にあっけなく幕が落ちた。

しかし神崎先生には膨大な数の陶芸作品がある。
ピーターボーコスをはじめとした世界の名だたる陶芸家を驚かせ、そして影響を与えた作品群。
更にそのような作品を作るに至った経緯を詳細に記された自叙伝とも云うべき二冊の著作がある。
著名な映画監督クラウドガニオンが渾身の力を振り絞って作成したドキュメントDVDもある。

それらを通じて、生きておられる時と同じくらいのお付き合いを、少なくとも私はしようと思う、出来ると思う。

画像はカール夫妻とディックレーマン、そして亡妻と直央と神崎先生と私。
保津川下りを楽しんだ際の写真。

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# by tennkozann | 2018-02-10 18:04 | Comments(0)

温度差

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何事か事業を実施しようとする場合、その取り組み方の熱意の差を評して「温度差」という言い方がある。

最も真剣に取り組んでいる者の温度を100度とした場合、うん!これは良いことだから、私自身に指導力統率力があるわけでは無いが、積極的に協力させて頂きますよと云うのは、まぁ80度くらい。

なんか面倒だなぁ~でも協力しておかないと取り残されるかも知れないから、役目が回ってきたらそれなりにやらないとな、と考えているのは60度くらいか。

出来るだけ逃げ切る方法を考えなきゃと云うのが頭の隅っこに鎮座ましましているのは40度と云うところであろうか。

リーダーはその辺りをよく観察して、それぞれプラス10度くらいの所へ持って行く、とその事が必要であろう。
そして其れは指導力の発揮と云う事で叶う範囲のことである。

所がどの団体にでも0度か氷点下を示す馬鹿がいる。
坊さんの世界などその典型である。
なぜ坊さんの世界でそうなるのかと云う事を書きだしたらきりが無いのでやめておくが、本日某会議でその箸にも棒にもかからない坊さんと同席して怒りが収まらない。
既に「温度差」という言い方で処理出来ないからである。

また温度差だけの問題では無く、やる気はあるのだけど、およそ事を前進させる知恵の無い奴が多い。
現場で事を前進させるのにはリアルな知恵が要る。
いくら理念・理想・有るべき姿を語ったとしても、バカを相手にした場合、犬か猫に向かって「お前も人間の言葉を使ってくれたらなぁ~」と愚痴っているに過ぎない。
犬には留守番をさせるか狩りに連れ出すか、猫にはネズミを捕らせるか湯たんぽ代わりをさせるか、である。

とまぁ書いても仕方の無い事を書いて自分の気持ちを慰める。
うん!
ブログも良いモノだヽ(^。^)丿

これを読んで文句を言いたい坊さんがあるなら、それが誰であれ、はいはい!何でもお聞きしましょう!( ̄~ ̄)

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# by tennkozann | 2018-02-06 18:32 | Comments(0)

恐怖心が(^^ゞ

f0211225_16384758.jpg急逝・入院・発病・・・そんな事が正月以来私の周辺で続いている。

今年の暮れに私は70歳になる。
平均寿命が80歳を超えている今、70歳が「古来稀なり(古稀)」とは、余り適切な表現とは言えまい。
しかし、何かにつけて不調を来たし、其れがそのまま死に繋がることも稀にある・・・と、確かにそういう年齢ではあるようだ。

衣食住の全てに於いて、何かと人間に優しい行き届いた環境が与えられ、人の寿命は延びているのだろうが、僅かな不注意が重くのしかかり出す年齢と云う事実は変わらないと云う事だろうか。

そうとすれば、70歳は矢っ張り「古稀」で良い!

私は保月城登りを繰り返している。
今年に入って既に33回を数えた。
何日間か諸事情で抜けているので、詰まり一日複数回登った日が何度も有ると云うことである。

知人は其れをいたく感心してくれたりもするが、いつにかかって「老いさらばえることに対する恐怖心」が私を突き動かしている。


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# by tennkozann | 2018-01-30 16:40 | Comments(0)

あれから23年

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阪神淡路大震災から23年が経つ。
直接的被害者で無い私にはあっという間の23年間だった。

その時、本堂改修中でお祀りを書院に移していたので、其れは調度木魚念仏を始めて16分経った時のことであった。
ゴォ~と云う不気味な音がした直後、とんでもない揺れが襲ってきた。
東京での生活が長かった私は、震度3くらいの地震は何度も経験していたが、明らかに其れを上回る衝撃。
施餓鬼段を須弥壇代わりにしていたので、膝を伸ばせば手の届くところに高月があって、倒れないように手を伸ばした。
その日の朝念仏参加者は確か三人であった。

お念仏の後、当時宝塚に住んでいた絵奈に電話をしたのが何時頃であったか。
確か部屋の中がごちゃごちゃになっていると言うので、片付けを手伝って、一緒にお昼でも食べれば良いと、まだその時はのんびり考えていた。

余り時間をおかずに亡妻と出かけた記憶があるが、確かこの時は受験勉強中であった直央も一緒に連れ出したのでは無かったか。

ラジオをつけていたが、情報では次第にその被害の大きさが増してくる。
まだ携帯電話の普及以前だったので、コンビニから電話をかけようとするが、三田辺りでは全てのコンビニで公衆電話に行列が出来ている。
ついでに何か食べ物を仕入れておこうと思うが、全てのコンビニで残っている物は週刊誌と調味料くらい。

何か飲み物をと思って自販機の前に立つが、自販機も電気が切れていて稼働しない。
そんないくつかの事実から地震の大きさが予想外のものだと想像される。
ラジオが報ずる死者数が数十人から数百人、そして千数百人から二千三千と一気に数字を延ばしていく。

高速を下りて何やら普段の景色と違うのは、ブロック塀が軒並み倒れてしまっているから。
絵奈の住まいするマンションが近づいたら、倒れかけの家が目立ち始め、漏れたガスの匂いがする。

絵奈と泊まりに来ていた春日町の友人を即連れ出し、猪名川町周りで丹波を目指すしか無いと判断して車を走らせる。
途中道路に亀裂の走っているところもあり、迂回に迂回を重ねて柏原にたどり着いたのが夕刻近くになっていた。
余談ながら、その迂回に迂回を重ねる荒っぽい運転で絵奈の友人がひどい車酔い。
途中車を止めて嘔吐していたら、目の前の家の人が水を持って顔を出して下さった。所謂困った時はお互い様というものか。

色んな意味でまだ当時の傷跡を引きずっている人が少なくないのに比べ、何はともあれ、あっという間の23年間だった、と振り返られる幸せを思わなくては成らないのだろう。

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# by tennkozann | 2018-01-17 08:03 | Comments(0)

楽しみ

f0211225_15503172.jpg生きていくと云う事が、強く意識するかしないかは別として「価値判断」の連続なのだと、そして価値判断というなら少なくとも「絶対的価値」と「相対的価値」の二つの価値基準を考えておかなければならない、其れは又「真価」と「評価」と言い換えても良い、とそんな事を事ある毎に話してきた。

過日オークションサイトを覗いたら神崎紫峰先生の早い段階での作品(信楽・水指)が出ていた。
展示会で、大体いくらくらいで販売されたのかは想像出来るが、オークションで付いている入札価格はとてもその価格(展示会の価格)に近いものでは無かった。

さて展示会で売られた値段と、オークションで落札する値段のどちらが正当な値段と言えるか?
多く人の気になるところでは無いだろうか。

しかし考えておかなければならないのは、売買される価格は、それが展示会であれオークションであれ、共に「評価」でしか無い。
それは、作品そのものの絶対的価値といつも連動しているというものでは無い。

生前かのゴッホの作品は一点も売れることが無かった。
例外は、弟テオが余りに兄貴が気の毒だからと、名前を伏せて一点購入した事があるだけである。
然るに今やゴッホは、数点の代表的作品が100億円を下ることは無いようだ。

勝海舟は氷川清話の中で次のように語っている。
「上がった相場はいつか下がるときがあるし、下がった相場もいつか上がるときがあるものさ。その間、十年焦らずじっとかがんでいれば、道は必ず開ける」と。
世間に於ける人間の相場にしてそうなのだから、私に言わせれば、展示会に付く価格やオークションサイトで落札される価格に翻弄されないことが肝心だ。

と、左様な考え方の下、私は画像の水指を落札した。
茶道をたしなむわけで無い私には無用の物だが、これだけの物が思いがけない安価で手に入るなら、落札しなければ或る種の損失だと言えなくもない。
そばに置いて見ているだけで、落札価格程度の楽しみは繰り返し出来ようというものである。

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# by tennkozann | 2018-01-15 15:55 | Comments(0)

ただいま入院中

既に2ヶ月近い入院生活を送っている友人阿頼耶上人を漸く見舞ってきた。
病名は確か上咽頭癌とかだったが、場所としては、眉間の奥の方に出来る癌なのだそうだ。
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その場所を切開手術した例は、アメリカに2例有るだけだという話であったが、彼の場合も放射線治療と抗がん剤の投与。
放射線治療は前後35回に亘っての照射であったらしいが、ものの10回も照射すると、口の中が口内炎でただれ食事が出来なくなるのだそうだ。
其れで鼻にチューブを差し込んでの栄養補給と云う事になるのだが、その状態は偶々私の行った昨日で終わり、今日はチューブを外して、明日からは通常の食事(と言っても五分粥)に戻るらしい。
しかしこの通常の食事も、飲み込むのに勇気を要するのだそうである。
間違って気管に入ってしまう事があるかららしい。

何はともあれ癌はすっかり姿を消したのだそうであるが、放射線治療の副作用?で、喉周辺もただれているだとかで、昨日私に見せようとしたが、気の弱い私は正視出来ないので見せないでくれと断った(^^ゞ

この写真は彼が撮りそして送ってきたものだが、ブログで公表も可と云う事だったので公開。
驚く知人があるかも知れない。
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因みに彼はツーショットを撮るのがお好きな人で、フォルダを探していたら二枚のツーショットが見つかった。
なんと・・・人間は年を取るものだ(^^ゞ
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昨日の写真と合わせて都合三枚の写真を眺め、少なくともあと10年ばかりは、互いに元気な日暮らしをしたいものだと思う。

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# by tennkozann | 2018-01-09 15:37 | Comments(0)