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贅言とは 言うまでもなく 言う必要のない事・・である


by tennkozann

城山 様様\(^o^)/

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私はまだ城山(黒井城・保月城)登頂830回程度であるが、7000回前後の人が2人、6300回程度の人が1人、2000回台の人が2人(多分)1000回台の人は数名有る。

実は私もカウントする前からを数に入れれば1000回程度登っていると思うが、あくまでもカウントし始めてから1000回を超えなければ常連とは言えないのだと自分で決めている。

しかしそれはそれとして、その程度の数を登れば、明らかに城山登りが体調のバロメーターになっている。

医療関係の人には怒られるかも知れないが、医療機器の画一的な数値よりは明らかに自分の体調を適確に知れるのだと私は考えて居る。

最初の急な坂を越えた所で一旦平坦になるが、その平坦な所での息づかいで先ずその日の体調が分かる。
次は急坂コースとなだらかコースに別れる地点で、とても急坂コースを選べないと思う時は、体調がイマイチの時。
更に足を伸ばして赤門のところで一旦休みたいという気持ちが働く時は、矢っ張り体調万全とは言えない。
そして最後のフェンスのところで、疲れ切っている時はフェンスの開け閉めさえ億劫になる時がある。
更に三の丸部分で、駆け足できるかどうか?と云うのも一つのチェック方法である。

昨年末、狭心症の発作(病院に行ってないので正確には分からないが、多分あの苦しさはそうだろう)が出て以降、中々本来の体調に戻らなかったが、今日は漸く本来の体調に戻ったと言って良いかも知れない兆しが見えた。

城山は、私の体力維持・健康及び体調の管理に欠かせない存在となっている。
城山様様だ(^^ゞ

# by tennkozann | 2019-09-17 20:25 | Comments(0)

傷ついたリンゴ

f0211225_20020209.jpg嘗て素交会という勉強会もどきを組織して、月に二回ずつ集まりを繰り返していた。
多くは私の作ったテキストを解説するという事をしていたが、それぞれ集まっていたユニークな才能が、面白い企画を催したりユニークな旅行を計画したりすることもあった。

家内の死を契機として解散することとしたが、その後も同窓会と称して時々顔を合わせることをした。

その素交会で「躓ism(つまずキズム)」と名付けたテキストを作って話をした事がある。

その冒頭に『趣旨にかえて』として、次のようなことを書いている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1991年9月の台風によって損傷を受けた「青森リンゴ」に添付されていた断り書きに次の一節があったという。
……このリンゴは傷つきながらも、頑張って枝にしがみつき生き残った健気なリンゴです。
傷跡は多少残りましたが樹で熟した新鮮で味の良いリンゴです……と。
長い人生を無傷で過ごすことは不可能かも知れない。
否!無傷で過ごすことは寧ろ恥とこそ言うべきでは無かろうか。
もしそうとすれば、多少傷を残そうともそのまま樹で熟し、味わいのある人生であると誇れるような生き方がしたいモノである。
平成14年夏 滝川
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

因みにこの前書きを書いた2年後に妻は急逝した。
自身をリンゴに例えれば、突然の突風に枝から引きちぎられそうになってしまったリンゴである。

幸い、枝にはしがみ続けての15年、味わいを誇れるようなリンゴとなったかどうか?…だ(^^ゞ

# by tennkozann | 2019-09-16 20:03 | Comments(0)

私だけの喪中

f0211225_16462352.jpg『季節』によって思い起こされる記憶がある。
20才の頃だったろうか、一陣の風が運んできた季節の匂いで一瞬にしてなぜか高校入学時の記憶が甦ってきた。
余りの懐かしさに足を止めてその懐かしさを味わった。

それは今でも鮮明に残っている記憶で、同時にあの時味わった春の匂いを、もう一度味わってみたいものだと云うことも願い続けているくらいである。

ここ数日早朝のひんやり感で思い起こすのは15年前家内の死が近づいていた頃の記憶。
余りに暑かった夏、自宅療養故の手探りと、この後何が自分を襲ってくるのかという不安を抱えて無我夢中の毎日を過ごした。

それが、気がついてみると、私の周りには娘と息子夫婦がいて、あの夏の暑さが嘘のように去って秋を感じさせる、その事をしみじみ思った日が鮮明に思い出される。

15年前の今日、私は日記に「絵奈とオヤジの様子を見に行ってきた。少し外に出ることでもしないと気分が重すぎる」と書いている。

そしてその次のページに「途中直央から電話があって、桃を半分とパインジュースを約150cc飲んだのだという。それ以外に用事があったわけではない。余程嬉しかったのだろう、そして私を少しでも安心させようとしたのだろう、とてもその気持ちがよく分かる」と書いている。

当時父は老健施設にお世話になっていた。
そこへ殆ど気分転換のために出かけたその途中のことである。
その電話がどの状況でかかってきたのかも鮮明に覚えている。
勿論その時の気分もその場所も。

6月29日CT検査で脳腫瘍と判明。
9月27日永眠。
この90日間は、実は毎年私に巡ってくる妻の喪中。

この毎年巡ってくる「私だけの喪中」も、あと十日ばかりで明けることとなる。

# by tennkozann | 2019-09-15 16:49 | Comments(0)
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孔子の有名な言葉「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順(シタガ)い 七十にして 心の欲する所に従いて矩(ノリ)を踰えず」。

一々現代語訳することも無いと思うが、平易に意訳するなら「私は15歳で学問に志し、30歳で自立、40歳では心に惑いがなくなり、50歳で 天命を自得、60歳では、どんな話にも動揺することが無くなり、70歳で遂に自分の行動が、大きく道を外れることが無くなった」。

と、まぁそんなところであろうか。

今朝お念仏を申しながらふと気づいたことだが、この孔子の基準に順って、30才(而立)まではともかくとして、40歳の時に不惑(惑わず)は私には不可能、50歳で天命を知るなど思いもよらず、60歳で人の話に振り回されることも無くなる(耳順)等と云う事も無理な話…等々自嘲気味に考えて居たが、どうもそういう考え方は些か生真面目すぎたのでは無かったか?と。

詰まり40歳(不惑)にして、惑わない生き方が始まり、50歳(知命)にして、徐々に自らの使命を自覚し始め、60歳(耳順)にして、少しずつ人の意見も聞けるようになり始めた。

その結果、70歳(従心)にして、漸く心の命じるままに生きて、大きな問題を起こさなくなった…と、このこじつけ解釈でも良いのでは無かろうか?と。

詰まり不惑(心が惑わない)は完成に30年を要し、知命(天命を知る)には20年を要し、耳順(人の言葉を受け容れられる)が身につくには10年を要するのだと云う…こじつけ。

これなら真意と大きく離れることも無く、私のような凡人にも手の届く話となるのではあるまいか?(^^ゞ

# by tennkozann | 2019-09-14 19:31 | Comments(0)

観見二眼…観の目を強く

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どこから来てどこに居て何処に行こうとするのか。

「どこから」がA、「どこに居る」がB、「何処に行く」をCとするなら、AからBが歴史であり、Bは現状認識、Cがビジョン・展望・方針と云うことに成る。

歴史を知る事は、正しい現状認識とそれに基づく方針の決定、という意味で大切なのである。

言い換えるなら、正しい現状認識は、歴史を知る事で叶い、その上で然るべき方針が見いだせる、と云うことになる。

ゆえにも一旦打ち出すビジョン・展望・方針は、一時の思いつきとは次元の異なる確固たるモノとならなければならない。

このA「どこから」と、B「どこに居る」と、C「何処に行く」を、常に俯瞰できている人間とそうで無い人間がある。

常に俯瞰できている人間は、その時々の方針を問われて答えに詰まることが無い。
所謂大局観が安定しているのである。
五輪の書で宮本武蔵が観見二眼を説いたのはこの事に通じる。

一々書いていたら面倒なので某人がその要点を解説している一節を転載しよう。

・・・・・・・・・・・・・
「敵の太刀の位置を知っているが、少しも敵の太刀を見ない」。
すなわち、この一節は、目先のことに目を奪われるのではなく、物事を俯瞰して状況全体をみることの大事さを訴えているのです。
「見の目」は、今、動いている敵の太刀自体を見つめる、いわばクローズアップの目。
そして「観の目」は、全体状況を俯瞰するロングショットの目。
「観の目」を強く、「見の目」を弱く…というのがポイントです。
人間はどうしても目先で今動きつつあるものに目を奪われがちだという本質を武蔵は見事に見抜いています。
だからあえて「観の目」を強く、なのです。
・・・・・・・・・・・・・
なにがしか人の上に立つ者が、最低限心得ていなければならないことである。

# by tennkozann | 2019-09-13 18:07 | Comments(0)

人望って何?

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小学生くらいの子に『人望ってどういう事?』と聞かれたらなんと答えるか。
当たらずと雖も遠からざる答としては『周りの皆から信頼される事』と云う事にでもなろうか。

ではその信頼を得るための中身とはどういうモノであるのか。

ネット検索してみると、意外な程『人望を得るためには』的な記述が沢山有った。

或るサイトに人望の篤い人の特徴として「誠実である」「仕事ができる」「分け隔てなく接する」「的確なアドバイスができる」「他人のせいにしない」「感謝を忘れない」「謝罪することができる」「愚痴や泣き言を言わない」「行動で示す」「ポジティブである」の10種類が上げられていた。

又別のサイトでは「人によって態度を変えない」「感謝や謝罪をしっかりできる」「謙虚であり、自慢をしない」「約束を守る」の四つがあげられている。

更に別のサイトでは「待ち合わせ時間や締切日を厳守する」「些細なことでも感謝の気持ちを伝えられる」「自分の非を認めて反省できる」「悪口や陰口、批判をしない」「小さな約束でも必ず守る」「物事を前向きに捉える」だそうだ。

全て納得ではあるが、これって通り一遍の『善い人』を文字化しているに過ぎないのではなかろうか。

私は皮肉を言ってみたくなる。
全部立派な或る種の精神論に繋がっていく内容であるが、なぜ金銭に関して1行も無いのだろう?と。

現実の生活では、妙に金銭にこだわる人間・細かすぎる金銭感覚の持ち主・全ての行動基準が金銭になっている人間、たかる事はしてもおごる事をしない人間等々を見る事があるが、この面々に然るべき人望の集まることは無い。

或いは、夫婦間に問題のある人で人望が篤い人というのは余り聞いたことが無い。
その延長線上で自らの家庭をしっかり治められてない人も、人望とは無縁で無かろうか。

金銭に関して1行も触れないというのは、「人望」という立派な事柄をテーマにする時は「お金話題」は似つかわしくないと云う判断なのであろうか。
夫婦や家庭の問題は、社会人としての評価と分けて考えても良いと云う考え方であろうか。

『人望』それは、箇条書きしてそれを得るためのノウハウを伝えられるというようなモノでは無い。
しかし人望の有る人と無い人が在ることは厳然たる事実。
答が無いまま、私は人望って何だろうと思う。
そう思わざるを得ないことが身の回りに多すぎるからだ。

# by tennkozann | 2019-09-12 18:42 | Comments(0)
f0211225_06560251.jpg某特別展の案内に『櫻谷は、第1回文展(現・日展)で最高賞を受賞した優れた画家で、美術学校の教授や審査員なども務めていましたが、晩年に画壇と距離を置いたことや、まとまって作品を見られる美術館がなかったことから、「知られざる日本画家」になっていました』とあったから私如きが知らないのは無理もない。

しかし最近ではテレビで紹介されたりすることもあるのだとか。

過日ヤフーオークションを見ていて気になる絵があったので入札してみた。
そしたら終了日が近づくと意外に高値更新が続く。

ちょっとだけ意地になって、某金額を書いておいたら、一昨日落札の通知が来た。

ひとまず自分の思う範囲での入札をした後、諸々作者に関して調べているウチに冒頭の紹介文に出会ったのだが、更に本格的な作品となると、とても私なんぞは手が出そうにもない。

しかし別の所では「竹内栖鳳と京都画壇の人気をわけ華々しく注目される作家となったが、それ以後は師景年の過剰なまでの推薦が反動となって画壇から嫌われ、熟達した筆技も過小評価されて再び台頭することはなかった。ただ、絵の依頼は引きも切らず、制作数も多かったようだ」とも紹介されているのだから、私が落札したレベルの作品も多数現存しているのではなかろうか。

中々ご機嫌の作品。

バブルが崩壊したことと、生活様式の変化で軸物の価格は壊滅状態。
しかし壊滅状態というのは『商品価値』であって『作品価値』ではない。

商品を愛でるのではなく作品を愛でる人間にとってこんなに良いことはない。

実に良い現象だ\(^o^)/

以前なら、何処かの床の間で拝見して羨ましく眺めているだけだったかも知れない軸物を我が物として愛でることが出来る。

善哉善哉\(^o^)/

# by tennkozann | 2019-09-11 17:26 | Comments(0)
f0211225_07553001.jpg珍しく漆にかぶれた。
子供の頃は山に行って漆の傍を通るだけでかぶれ、随分何度も苦しんだ。
その証拠写真が幼稚園の際の集合写真だけど、顔がふくれあがってひどいことになっている。

今回は「ん?漆に似ているな」と思って気をつけていたのだけど、その日の夕刻から左手の甲に湿疹が出だした。
多分その日の夜だったと思うが、余りのかゆさに無意識にかきむしっていて、その部分(手首に近い)が中々のかぶれ方になっている。

まぁこれ以上ひどくなることも無さそうだが、寝る時は念のため手首サポーター。

そんな風に漆に苦しんでいた子供時代の或る日、気遣ってくれた人に対して、母が「この子は苦しくても我慢する子で弱音を吐かない、皮膚は弱いけど芯の強い子でね」というようなことを言った。

長じて、芯の強さと皮膚の弱さは対比すべき対象になるか?と妙な感じを持ったが、それはそれとして「弱音を吐かない」という母の一言が、その後の私に大きく影響したことは間違いない。
つまり弱音を吐けなくなってしまったのだ、
弱音を吐くことは母を裏切ることになるから。

母に関して思い起こすことはもう一つ、或る時友達との喧嘩で泣きながら帰宅した私に対して、母は戸を中から閉めて決して家の中に入れては呉れなかった。
そして中から私に言ったのは「負ける喧嘩なら初めからしなさんな!喧嘩をしたら勝つまでやりなさい」。
私はその時仕方なく喧嘩のやり直しに出かけて行った事を鮮明に覚えている。
この出来事もその後の私に大きく影響したように思う。

いい年をして暴力に訴える喧嘩をする等と云う事はないが、対世間・対檀家・対上部組織などと意見の食い違うことは何度もあった。

その時の私を支えたのは母に関する二つの記憶「弱音を吐かない子」と「喧嘩は勝つまでやりなさい」。

15年前に急逝した家内だけではなく、亡母とも出会いたいと思う事がある。

# by tennkozann | 2019-09-10 20:31 | Comments(0)
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「俺が誘わなければ滝川、お前クラス会なんか来なかっただろう」と彼は言う。
確かにその通りかも知れない。
自ら進んでそういう集まりに顔を出すタイプではない。

ゆえにも最初の頃、彼はわざわざ私を迎えに来てくれて、それで高校のクラス会に顔を出すと云うことがあった。
尤も一旦顔を出したら、隅っこの方で口数少なく黙っているというタイプでもないから(^^ゞそれなりに楽しい時間が過ごせるのは紛れもない事実。

その彼が「写真教室」なるモノに参加して、「俺、ベストファイブ」の一人なのだという。
今日は彼が3度目の蛙撮影にチャレンジした。

抑もせっかちな彼であるから、雨蛙とじっくり付き合うというのは無理。
それでも撮るというので、先に件の場所に出かけて蛙を見つけておいた。
少し遅れてきた彼は早速撮影にかかるが、蛙は危険を察知してよく逃げる。

「俺が言うこと聞かして、場所(花が散った後のハチス)を移動させようか?」と言うと、「頼むわ」と。
それで私は蛙を指先に乗せて蓮(ハチス)に蛙を移動。
「おっ!すごい!ホンマやな」と、感心してくれる。

相当枚数を撮っていたが、私に言わせると彼に蛙の写真は無理。
抑も彼は心の中で「たかが蛙」と思っている。
まぁ言ってみれば人間としてのおごりがある。
蛙も自分と同じ時代を生きている「一つの命」とみる謙虚さがない\(^o^)/

彼のカメラを借りて何枚か撮ってやったが、11月に開催される発表会に「見に行くわ」と言ったら「来なくて良い」と彼。
多分私の撮った一枚を出品して絶賛されるのだろう\(^o^)/

篠山市でなにかと役職を与えられて忙しいのだそうだが、暇を見つけて出かけて来る彼は、損得も駆け引きも余計な遠慮も要らない貴重な友人だ。

# by tennkozann | 2019-09-09 16:38 | Comments(0)

後ろ姿

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蛙の後ろ姿も、何か語るモノがある。
安心しきった後ろ姿もあれば、何かを警戒している後ろ姿もあり、今回の画像などは、何やら次の行動を思案中…と見える。

蛙にしてそうであるから、人間の後ろ姿など余程雄弁にその時の自分を物語っているのではなかろうか?
多分、それは或る人の目を以てすれば隠しようがないほどのモノであるに違いない。

15年前の今日、家内の余命は残す所20日を切っていた。
勿論その当時そんな事は知る由も無い。
意識して家内の死というモノを予測の範疇から閉め出していたのかも知れない。

しかし当時の後ろ姿には、見る人が見れば分かる何処か諦めに近い淋しさが漂っていたのかも知れない。

…昼寝の後ぼんやりそんなことを考えた…。

# by tennkozann | 2019-09-08 18:31 | Comments(0)