不徹寺 訪問記

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5月7日、いつか訪ねてみなければならないと考えていた網干の不徹寺を訪ねた。
地元ではそれなりに知られているお寺だが、広く知られているお寺ではない。

西楽寺を菩提寺とする田家。
その田家が生んだ元禄の四俳女の一人に数えられる「田捨女(デンステジョ)」が尼僧となって後創建したお寺である。
捨女の弟子が52人居たと云うだけあって、檀家一軒とて無いお寺ではあるが、今なお約1000坪の広大な境内地を持つ。
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飛び地としていくつかの地所を持ち、ささやかに地代収入があるばかりという現状だそうだが、昨年秋に晋山された松山法尼は、掃除に明け暮れる毎日を、屈託無く楽しんで居られるようですらある。

今年四月捨女の菩提寺と云う事でおいで下さった際、つまらない拙著を数冊渡しておいたら、其の中の一冊に安岡正篤先生と森信三先生の名前を見かけて嬉しかったというお手紙を頂戴した。
なんと彼女は出家に際しほとんどの蔵書を手放してきたのだが、このお二人の著書だけはこのお寺に持ってきたのだそうだ。

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お祀りされている貞閑尼像は初代磯尾柏里作であるが、同じ柏里作で西楽寺が所蔵する貞閑尼像より、ほんの少しご高齢に見える。
これは西楽寺が所蔵するものより、お軸にされた貞閑尼像により忠実なようにも思われる。

種々よしなしごとを話していたら、禅堂の本尊さんは捨女の師僧に当たる盤珪国師の自刻像だと云う事で、特別に拝見させて戴けた。
全てを盤珪国師が彫られたわけでも無かろうが、どこかの時点で盤珪国師自身のノミが加えられたに違いない。
素晴らしい出来栄えで僅かに興奮を覚える。
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松山法尼は、暇を見つけては蔵に放り込まれた什物の類いをチェックして、埃を払うなどを続けておられるのだそうである。
「女性の好みそうな、ほんとに小さな仏さんなんかが有るのですよ」と、そのウチの数点を見せて下さったが、なかなかの文化財だ。
いつの日か広く世間の知るところとなるのかも知れない。

このお寺の維持管理を、同じ住職として大変に思うが、松山法尼ならナントカされるかも知れない。
そんな期待を持たせる素敵な尼僧さんである。

漸くこのお寺の本堂で、ほんの僅かに木魚念仏が出来た。
小さな課題クリアだ・・・な。

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by tennkozann | 2017-05-09 12:33 | Comments(0)