彼の言葉「楽しく死にたいんや」

ステージ4の癌に於ける余命、それを発覚後の5年生存率でチェックしてみると、発症箇所によっても異なるようであるが、胃癌の場合、手術をしないで概ねヒトケタ台、詰まり5%前後。
手術をした場合に10%台のようだ。

畢竟ステージ4と云う事になると、手術をしても10人の内9人までは5年以内に亡くなると云う事のようだ。
50年来の友人八木は、その事を能く知った上で冷静に判断している。
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昨日、少し時間をおいて入院見舞いをする予定だったが、家族の言い回しや本人のメールなどから判断して、とにかく一度顔を出しておこうと出かけた。

到着した際は、奥さんと東京から帰省していた長男の二人がベッド脇で涙目の状態であった。

八木は私の到来を喜んでもくれたようだが、声が弱々しい。
一度開腹した影響や、絶食中というので声を出すのも大変なのだろう、と思う。

そんな中で彼が言うのは、「回復が望めないのに、ただ一日でも長く!と命を繋ぐ為の治療は、本当の意味で生きている事では無い」と。
確かにその通りではある。
数ヶ月後に、例えば子供の結婚式が待っているというような事情があるなら、多少の無理をしてでも命を繋いでいくという選択はあり得るのだと思う。

しかし彼は言う。
「二人の息子はしっかりやってくれている(長男は電通のクリエーティブディレクターとしてアドフェスト2回グランプリに輝くなど世界を舞台に活躍中、次男は八木フォトスタジオの二代目として初代の仕事を立派に継承している)し、十分楽しい人生だったから、この上は苦しまないで死にたい」のだと。

ただ奥さんに対しては申し訳ない気持ちが残るのだそうだが、それはごくごく当然の事だろう。
「それでもな」と彼は言葉を続ける。
「滝川なぁ こうやってみんなの顔を見ながら楽しく死にたいんや。痛みに苦しんでたらみんなの顔を眺める余裕も無くなるだろ?」と。
その「みんなの顔」と言って、一瞬奥さんと長男の方に目をやる八木の顔が優しかった。

多発性脳腫瘍で回復絶望の家内を、病院にかからず全て自宅療養で送った私は、八木の判断を正しいと思う。
しかしだからといって「其れは良い決断だ!是非そうしろ」などとは言えない。

どこかの段階で、「それ以後」は最短で死なせてやるというのは、逝く者に対して近親者が出来る最後の思いやりだと私は思う。
しかしそれでも私もまた、家内を必ずしも最短で逝かせる事は出来なかった。
事情があったにせよ、私は確かに情に曳(ヒ)かれて30分ないし1時間、家内を苦しめてしまったという思いが今も強くある。

彼に負担をかけまいと思うものの、チョットした思い出話などが顔を見せ、話が長くなってしまった。
どうにもいかん・・・思い出話は涙腺を刺激する。

八木よ頑張れ!等という気はさらに無い。
これからも時々顔を出そうと思う。
一切の賢(サカ)しらを捨てて彼に相(アイ)対すれば、会話の為の必要な知恵は、必ずもたらされてくる筈である。

今回も画像は八木の試作を無断使用(^^ゞ

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by tennkozann | 2017-07-09 10:59 | Comments(0)