「正常値」をネット検索したら、血糖値・血圧・白血球・赤血球・尿酸・脈拍数・中性脂肪等々に就いて記事がヒットする。
ついぞ健康診断などと云うモノを受けた事の無い私は、血糖値以外の項目に関しては、基本的には殆ど何のことか分からない。
しかし気になる人は気になって、そしてネットで種々調べたりするのだろう、と思う。
因みに人間は体だけで出来ているわけでは無い。
一応の言い方として「心と体で出来ている」と言って、多くの者は敢えて反論はしないはずである。
そうであるにも関わらず、心の正常値という文言はついぞ聞いた事が無い。
どうしてなのか?とぼんやり考えてみる。
それは多分「心」は数値化できないモノと、みんなが受け入れているからであろう。
しかし心も亦、体と同様にバランスを崩す事があるのだから「心の正常値」と云う事は、人間にとって重要なテーマであるはずである。
私は思う。
仏教は確かに心の正常値を考えているのだと。
そしてそれを「宗教的安心(アンジン)」と呼んでいるのだと。
先師故別府信空上人は、自らの宗教体験を通じて繰り返し仰っていた言葉がある。
「なぁ滝川さん 所詮如来さんの腕の中じゃ 悪いようにはなさらん」と。
詰まりこれこそが別府上人の宗教的安心(アンジン)である。
そのお上人に次の歌がある。
春うらら 心もうらら 御仏(ミホトケ)の お慈悲の胸に 深く抱かれて
この「うらら」こそが心の正常値である、と私は思う。
さて・・・日々「うらら」を生きているか?
若しくは「うらら」からどの程度の誤差を生きているのか?
血糖値だのなんだのを気にする前に、ちょいとコッチを気にしてみませんか?だ。