厚かましい夢

f0211225_14213987.jpg幕末の儒者・佐藤一斎に次の言葉がある。
=己れを喪(ウシ)えば斯(ココ)に人を喪う。人を喪えば斯に物を喪う=

佐藤一斎の言志四録を全て現代語訳した川上正光という人は、この言葉に対して次のような訳を載せている。
=自信を持つことが大事である。自信を失ってしまうと、自身の魅力が薄くなって友人をも失うことになる。友人を失ってしまえば、社会における自身のありかを失うことに繋がりかねない=と。

分かりやすいと言えば分かりやすく、読む者をして自らの人生観に役立たしめ得る現代語訳と云う事になるかも知れない。
しかし私は、長ったらしくて些かお節介な訳文であると思う。

私なら、せいぜい=己を見失う者は人を失い、人を失ったならやがて全てを失う=くらいの訳をする。

此処に云う「人」は、ともすれば「友」としたくなるところであるが、佐藤一斎が「人」としたものは、友人を含んだ多くの人の信頼を意味しているに違いない。
その最も前面にあるのが「友人」であろうが、友人に限定してしまうと意味合いが狭くなってしまう。

そして、佐藤一斎が云う「物」とは、必ずしも物理的存在としての「物」では無くて、他者からもたらされる「情報・人の紹介」などを含んでいたに違いない。
ゆえにも私は「人を失ったならやがて全てを失う」と意訳したくなる。

それはそれとして、私はこの逆を考えてみるのも一興だと思う。
佐藤一斎の言葉に準じて「物を得たければ人を得よ、人を得たければ我を得よ」と考えてみるのはどうであろうかと。

抑も、曖昧な自己をすら見失って右往左往しているのだから、正になにをか況んやであるが、その先に、人を得て、人を通じてすべての物を得ようなどとは、厚かましすぎる夢ではありませんか?と言ってやりたい奴が多すぎる。

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by tennkozann | 2017-11-24 14:22 | Comments(0)