楽しみ

f0211225_15503172.jpg生きていくと云う事が、強く意識するかしないかは別として「価値判断」の連続なのだと、そして価値判断というなら少なくとも「絶対的価値」と「相対的価値」の二つの価値基準を考えておかなければならない、其れは又「真価」と「評価」と言い換えても良い、とそんな事を事ある毎に話してきた。

過日オークションサイトを覗いたら神崎紫峰先生の早い段階での作品(信楽・水指)が出ていた。
展示会で、大体いくらくらいで販売されたのかは想像出来るが、オークションで付いている入札価格はとてもその価格(展示会の価格)に近いものでは無かった。

さて展示会で売られた値段と、オークションで落札する値段のどちらが正当な値段と言えるか?
多く人の気になるところでは無いだろうか。

しかし考えておかなければならないのは、売買される価格は、それが展示会であれオークションであれ、共に「評価」でしか無い。
それは、作品そのものの絶対的価値といつも連動しているというものでは無い。

生前かのゴッホの作品は一点も売れることが無かった。
例外は、弟テオが余りに兄貴が気の毒だからと、名前を伏せて一点購入した事があるだけである。
然るに今やゴッホは、数点の代表的作品が100億円を下ることは無いようだ。

勝海舟は氷川清話の中で次のように語っている。
「上がった相場はいつか下がるときがあるし、下がった相場もいつか上がるときがあるものさ。その間、十年焦らずじっとかがんでいれば、道は必ず開ける」と。
世間に於ける人間の相場にしてそうなのだから、私に言わせれば、展示会に付く価格やオークションサイトで落札される価格に翻弄されないことが肝心だ。

と、左様な考え方の下、私は画像の水指を落札した。
茶道をたしなむわけで無い私には無用の物だが、これだけの物が思いがけない安価で手に入るなら、落札しなければ或る種の損失だと言えなくもない。
そばに置いて見ているだけで、落札価格程度の楽しみは繰り返し出来ようというものである。

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by tennkozann | 2018-01-15 15:55 | Comments(0)