蔵書処分 偶感

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蔵書を半分くらい処分した。
古書店が以前程はやらない現代、蔵書の処分が特に田舎では面倒な事となる。

たまたま喜んでくれるに違いない(と思える)古書店主と知り合ったので、某日神戸からやって来て貰った。
まだ30代の女性だが(良い意味で)趣味の延長線上で面白い仕事をされている。

読まなくなったからと言って書籍の廃棄処分というのは心情的に出来ない。
一度は興味を抱いた書籍類だけに、次なる主人を見つけて命を再度輝かして貰いたいと思う。
そういう意味では、書籍は生き物でもある。

因みに書籍類を大量処分するのは此で3度目である。
一度目は20代で、なぜか思索する日々が厭になって一気に処分したことがあった。
この時は古書店主が、自転車で当時住まいしていたアパートにやって来て、蔵書量を見て再度軽トラックで出直してきて、数時間費やして少し纏まったお金を置いていってくれたのを覚えている。

2度目は処分した事実だけ記憶していて、それ以外のことをすっかり忘れている。

3度目の今回は全て無料で持って行って貰った。
正直な所、一度は興味を抱いて購入した書籍類に、もう一度命輝かせて貰いたいと、それだけを思っての処分である。もし売却などと云うことにすれば、其の気持ちに自ら水を差すことになる。

或る限定したことに関わる仏教書は某人に送った。
彼なら有効に活かしてくれるだろうという思いからである。

私にも著書もどきがある。
多分10冊程度有るが、其の大半が、一定年数を超えれば廃品回収などに出されるのだろうと思う。
別段その事に関して恨みも辛みも無い。

もし私の著書もどきに「力」があれば、それは浮かれた世評などとは別の次元で活かされ続けるだろうという、ささやかな自負心も無くは無い(^_^;
真摯に読んで下さったらしい人(面識は無い)から、わざわざご丁寧な読後感などを頂戴して、チョット溜飲を下げつつその事を思う。

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by tennkozann | 2018-06-09 15:36 | Comments(0)