我に与(アズ)からず 我に関せずと存じ候

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昭和を代表する文芸評論家・小林秀雄に次の言葉がある。

ーどんな助言も人に強いる権利はない。助言を実行するしないは聞く人の勝手だ。それよりも先ず大事なことは、助言といふものは決して説明ではない、分析ではない、いつも実行を勧誘してゐるものだと覚悟して聞くことだ。親身になって話しかけてゐる時、親身になって聞く人が少ない。これがあらゆる名助言の常に出会ふ悲劇なのだーと。

実に尤もな言い回しであると思う。

因みに、過般開筵された親縁寺の五重相伝会では、回向師増田上人の名調子に多くの人が深い感動を覚えた。
その事は親縁寺さんに寄せられたアンケートで充分確認できる。

それでも尚、『回向』のなんたるかを良く理解されていないであろう人に向かって、私は勧誡中に何度か説明をし回向を勧めた。
そして確かに回向は随分追加された。

須田上人に対して確認したところ全受者中、それでも一切回向をなさらなかった人が二人有ったのだそうだ。

小林秀雄の言う如く、助言を実行するしないは聞く人の勝手に違いないが、それにしてもあの五重相伝の雰囲気の中で、周りの反応を見つつ断固として回向をしようとしない人。

余程の理由があるのか?
私の助言が名助言と呼ぶには余りにもお粗末だったのか?
或いは私の出会った小さな悲劇だったのか?

いずれにしろ、何を言うか(伝えるか)は私の問題。
それを如何に聞くか(受け止めるか)は、聞く人の問題。
畢竟『我に与(アズ)からず 我に関せずと存じ候』だ・・・呵々!

【註】
『我に与(アズ)からず 我に関せずと存じ候』とは、福沢諭吉が「痩せ我慢の説」に於いて、観念的理想論として勝海舟を批判したことに対する、勝の返信中の言葉「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存じ候」の後半部分。

画像は本文と何の関係もない、ある日の鳥取砂丘。


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by tennkozann | 2018-06-12 08:42 | Comments(0)