ん? 北風と太陽?

f0211225_18342018.jpg事ある毎に私は繰り返し言う「理念だけで人が動くのだとすれば、人類はとっくの昔に戦争などやめているに違いない」と。

如何なる組織にも如何なる運動にも理念が必要であることは、マッタク!言うまでも無い。
しかし!如何に立派な理念を掲げたとしても、聞く者の中には馬耳東風、我関せずという人間があるものである。

イソップ物語の「北風と太陽」、誰もが知る話である。
理念としては「太陽」がマッタク正しく、太陽だからこそ旅人の外套を脱がせることも出来たのである。

しかし、この物語は北風と太陽の力比べに始まる話で、外套をまとった旅人の個性については語られていない。

この物語は、確か旅人が外套も何も脱ぎ捨てて水浴びをしたと云うところで終わっているが、問題は旅人の個性である。

もし旅人が無類の怠け者だとしたら、降り注がれる陽光を可とし、寝転がって昼寝を続ける事、請け合いである。

世の中にこの手合いは五万と居る。
それが現実というものである。

そうとすれば、いつもいつも太陽宜しく温情を以てのみ他と接するというのは、必ずしも賢明な対応と言えないではないか。

北風を吹き付けて、旅人に『こんな所にいたら凍え死んでしまう、もう少し頑張って早足で歩かなきゃ』と思わせ、その結果目的地にいち早く到着して、早歩きでの暖まりついでに、外套を取ると云うことだってあるのである。

現実の複雑さに目をやらず、観念的結論としての正邪で全てを判断し、その延長線上で理念を語り続ける。
これほど一見賢げに見えて、その実この上なく愚かしい対応はない。
腹の立つことが多いのは、加齢の所為ばかりではない。

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by tennkozann | 2018-09-24 18:39 | Comments(0)