贅言とは 言うまでもなく 言う必要のない事・・である


by tennkozann

心地よい出来事

f0211225_05265602.jpg
私の坊さん人生で一番お世話になった人は故別府信空上人。
その御上人が折角書き下ろされたにも拘わらず、出版できないままになっている原稿があるのだと仄聞した。
10年ばかり前のことだ。

原稿を拝見して、某機関がなぜこの原稿の出版を躊躇したのかはほぼ想像が出来た。
しかし、左様な事は全く意に介する必要も無いと思われたので、私が西楽寺を出版元として「念仏者のよろこび」を刊行。
新書版74頁の、小冊子と呼ぶ程度のものであるが内容は濃い。
編集することで随分と勉強になったことも少なくない。

又私の判断で、御上人の発言として書き足した部分もあったが、了解して下さった等と云う事もあった。
更には、出版を躊躇した某機関の責任者が、自らの力の無さを弁解しつつ、私が刊行したことに謝意を述べ、100冊も注文してきたなどと云うこともあった。

過日山口県在住の見知らぬ人から電話があった。
聞けばクリスチャンなのだと云うが、某オークションでこの本を入手して随分と感銘を受けたのだと。
そして是非読ませたい人が有るのだが、一冊は手元から離したくないので、お分け頂く物は残っていないのだろうか?と云う問い合わせであった。

10冊ばかり手元にあったので送ることとした。
相手の人は、料金について問われたが、そういう経緯でお読み頂ける方があるなら、御上人に対する供養の一貫・恩返しともなりますので云々・・・と、しおらしく答えておいた(^^ゞ

私はこの事がとても嬉しい。
お亡くなりになって10年近く経ち、縁もゆかりも無い某クリスチャンが御上人の話に触れて感銘を受けている。
その一翼を担えているというのは、私にとって心地よい出来事である。

[PR]
by tennkozann | 2018-10-11 05:28 | Comments(0)