今朝の結論

f0211225_07352604.jpg朝のお念仏をしながらふと母の亡くなった年齢のことを思った。
母の亡くなった年齢は64歳。
そうするとその時、父は70歳であった。
詰まり私の今とほぼ同じ時期に配偶者(詰まり私の母)を喪っている。

私は妻を喪って今年で14年・・・・と云うことは、寡夫(カフ)として私は父の14年先輩?ベテラン?などと、全く意味の無い比較をしてみる(^^ゞ

当時31歳であった私は、母亡き後、少なくとも外見上は実に淡々と日暮らししている父を『大したモノだ』と眺めていた。
そしてその感慨が、野間宏解説の『歎異抄』を読むことになったように記憶している。
陽明学に興味を持ったのもその頃であった。

父は母亡き後、約26年生きた。
最後の数年は、とても生きていたなどと言える状態でも無かったが、それはそれとして、私も同様に寡夫状態を26年生きるとすれば、余すところ12年。
詰まり81~82歳?

私は母亡き後の、父の26年をだいたい知っている。
其れを敢えて論評しようなどとは思わないが、ぼんやりと『もぉ少しましな26年にしようと」とは・・・正直な思い。

当時父には三人の孫(私に二人・姉に一人)が居た。
今の私と同じだ。
父と三人の孫の距離感はどうであったか?等云うことも脳裏をかすめる。
其れと比べて私の其れは?等と云う事もちらりと思い浮かぶ。

そして思う。
思えば思う程意味の無い比較だ!と(^^ゞ
しかし、知らず識らず息子というものは父を如何に超えるか?と云うことを常に考えているのかも知れない。

因みに息子は既に軽く私を超えている。
多分、息子が私と同じ年齢にさしかかった時、彼は私を比較の対象とするような愚かなことはしないであろうと、其れを期待するのが今朝の結論だ(^^ゞ

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by tennkozann | 2018-10-13 07:37 | Comments(0)