人は何によって「ご機嫌(上機嫌)」になるか?で、自身の値打ちを決めることになるのではあるまいか。
世の中には、見え透いたお世辞を言われてご機嫌になる輩もある。
名刺に書く肩書きが一つ増えてご機嫌になる人間もある。
収入が有ってご機嫌にならない人間もないであろうが、それによって有頂天になるなどと云うのはお粗末な話である。
宝くじに当たったばかりに生活のリズムを狂わせて人生を台無しにしたなどと云う話を聞くこともある。
お盆だの正月に一族郎党が揃い、和気藹々としているのを目を細めて眺め、この上なくご機嫌になっている老夫婦などと云うのは、かなり上等の部類と言って良い。
逆に我が子が高学歴の相手と結婚しただの、名家へ嫁いだのといってこの上なくご機嫌になっている親などと云うのを見る事もあるが、些か顰蹙モノではなかろうか。
孫の誕生でご機嫌になるなどと云うのは、余程微笑ましい部類だが、だからといってやたらと孫の写真を人に見せつけて「可愛いでしょう?」などと、押しつけがましいのは些か辟易である。
周囲の反対を押し切り、苦心惨憺して成し遂げた事業の成功などと云うのは、確かに人をご機嫌にするものである。
内容によっては手放しで称賛して差し上げたいと思う事もある。
等々、その人が何によってご機嫌になるのか?で、その人の値打ちは大体想像つきそうなものである。
因みに或る意味自画自賛であろうが(^^ゞ、私は昨日この書を入手して、床の間に掛けてみて、ひとまずご機嫌である。
以前から入手したかった梶谷宗忍老師(故人 元相国寺派管長)の墨跡。