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贅言とは 言うまでもなく 言う必要のない事・・である


by tennkozann

薄っぺらすぎやしませんか?

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言うまでも無く、人は何かにつけて判断基準というモノを持っている。
唯それはある種の厚みを持っている方が良いと思うのだが、意外な程薄っぺらなたった一枚の紙切れみたいな基準で全てを判断する人間がある。

例えば「権利・義務」という判断基準を持ち出して、自らの行動を決定する人間。
電車で年寄りが重い荷物を持って立っていたとしても、自分も同じ切符代を払ったのだから座席に座る権利があるのだと、見て見ぬ振りをする奴。
ましてやそいつは,重い荷物に手を貸すなどという義務はどこにも発生していないと言わんばかりである。

成る程成る程、権利義務という判断基準では何も間違ったことをしているわけでは無い。

時に某人を私に紹介してくれる人が、予備知識として、ほとほと感心した口ぶりで「とにかく凄い資産家なんですよ。事業成功者で」などと言われると、ん?サラリと教えてくれる分には良いかも知れないが、そんなに感心した口ぶりは何なの?・・・と思う。

世の中には何はともあれ走ることだけは誰にも負けないというのと同じく、金儲けだけは実に上手だという人間がある。
しかしそれに見合った人間的魅力が備わっていなければ、とても興味を持つ対象にはなり得ない。
ただ、いつも人物評価の前面に「経済の物差し」を持ち出す人間が居ることは確かだ。

頭の善し悪しというのは、中々大切な判断基準でもあろうが、しかし頭が良いからと言って行動を共にしようとすると、然るべき決断をする場面で裏切られることがある。
往々にして、頭の良い奴は何かと理屈を付けて自らのリスクを回避しようとする傾向を持っているものである。
ましてや頭の善し悪しを学歴で判断でもされた日には、訳あって小学校卒であった田中角栄が総理大臣になることは無かったに違いない。

何事か某人の判断に耳を傾け、その判断基準の薄っぺらさにため息の出ることが少なくない。

by tennkozann | 2019-07-17 18:03 | Comments(0)