『季節』によって思い起こされる記憶がある。
20才の頃だったろうか、一陣の風が運んできた季節の匂いで一瞬にしてなぜか高校入学時の記憶が甦ってきた。
余りの懐かしさに足を止めてその懐かしさを味わった。
それは今でも鮮明に残っている記憶で、同時にあの時味わった春の匂いを、もう一度味わってみたいものだと云うことも願い続けているくらいである。
ここ数日早朝のひんやり感で思い起こすのは15年前家内の死が近づいていた頃の記憶。
余りに暑かった夏、自宅療養故の手探りと、この後何が自分を襲ってくるのかという不安を抱えて無我夢中の毎日を過ごした。
それが、気がついてみると、私の周りには娘と息子夫婦がいて、あの夏の暑さが嘘のように去って秋を感じさせる、その事をしみじみ思った日が鮮明に思い出される。
15年前の今日、私は日記に「絵奈とオヤジの様子を見に行ってきた。少し外に出ることでもしないと気分が重すぎる」と書いている。
そしてその次のページに「途中直央から電話があって、桃を半分とパインジュースを約150cc飲んだのだという。それ以外に用事があったわけではない。余程嬉しかったのだろう、そして私を少しでも安心させようとしたのだろう、とてもその気持ちがよく分かる」と書いている。
当時父は老健施設にお世話になっていた。
そこへ殆ど気分転換のために出かけたその途中のことである。
その電話がどの状況でかかってきたのかも鮮明に覚えている。
勿論その時の気分もその場所も。
6月29日CT検査で脳腫瘍と判明。
9月27日永眠。
この90日間は、実は毎年私に巡ってくる妻の喪中。
この毎年巡ってくる「私だけの喪中」も、あと十日ばかりで明けることとなる。