贅言とは 言うまでもなく 言う必要のない事・・である


by tennkozann

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死んだ、お金の節約

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生きたお金の使い方に対し『死に金を使う』と云う言い方もある。
私は思うことがある。
死に金さえ使わない『死んだ、お金の節約』と云うのもあるのだと。

僅かな会費収入で運営される組織がある。
子供会だの婦人会だの○○協議会だのと名付けられるそれである。
そういう組織の多くが、毎年集められる僅かな会費のウチの極々僅かを『特別積み立て』だのなんだのと称して定期預金にしている。
その理由を問うと「まさかの時のための積み立て」なのだそうだ。

おかしな話では無いか。
僅かな年会費で運営されている組織に如何なる『まさかの時』があるのであろうか。
所詮僅かな年会費で運営されている組織の活動など知れているのである。
もし「まさかの時」が到来すれば、僅かな年会費の数回分を特別徴収すれば事足りる程度の事しか起こり得ない。

個人の生活であったり、余程大きな公的組織であったりすれば、確かに『まさかの時』を想定しての運営が必要であろう。

しかし所詮限られた地域の子供会であったり婦人会であったりに、何ほどの『まさかの時』が想定されるというのであろうか。

そして皮肉なことに、その程度の組織に、加入者全員が合意するような『まさかの時』は、ついにやって来ないのである。
それでも、その組織運営の責任者?は、節約に節約を繰り返し『死に金を使う』事すらせず「死んだ、お金の節約」に使命感を燃やすのである。

年間数十万円程度の会費収入で運営される組織の会計報告などを聞く度に、私はその感を強くする。
そして僅かとは言え、生きたお金を使わなきゃね、と思う。

『死んだ、お金の節約』は、仏教的に言えば或る意味「不殺生戒」(命あるモノを死なせてはならない・生かさなければならない)に抵触するのだぜ!と皮肉りたくなることがある。

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by tennkozann | 2018-08-28 14:27 | Comments(0)
初めて、親の帰省に合わせてでは無く、友達と二人でやって来た孫。
その友達との昨日。
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四時起床。
四時半城山へ向けて出発(車で15分くらい)。
暁央と帆稀(2歳上・柔術友達)は、前の夜ふざけあって2時間ばかりの睡眠。

保月城登頂所要時間15分なら賞金◎◎円、20分以内なら○○円の賞金レース?
子供にそんな風にお金をやる・お金でつるなんてのは良くないと、言われそうだが、左様な窮屈な考え方が必ずしも正しいわけでは無いと云うのは、私の年来の考え方。

最初の登り方を見て「あっ軽く15分で登るな」と思ったが、意外や20分かかったらしい。
赤門までで12分だったそうなので、頑張れば可能だったはずだが、暁央に初めて経験するような腰痛が出たのだそうだ。
腰痛の暁央に付き合って賞金◎◎円を諦める帆稀・・・ま麗しき友情だ、な!(^^ゞ
腰痛の原因は、飛行機で長時間同じ姿勢を続けたからだろうか?

本丸址でひとしきり大人達との時間を共有。
竹村さんにホラ貝を吹かせて貰った。
二人とも、ほんのちょっと音が出て、出た直後の一瞬の笑顔・・・一瞬ではあるが、思い出としては長く続く思い出になったのじゃ無いか?

下山してシャワーを浴びて再就寝\(^o^)/
昼前に起きてきて、生野銀山へ行く途中「丹の布」で帆稀が糸紡ぎ体験。
神妙な顔つきでチャレンジしていた。
ま・・・余り多くの子が体験するわけでも無い経験、悪くは無いだろう。

黒川温泉・銀山湖を過ぎて生野銀山へ。
軽く昼食を済ませて坑道の中へ。温度は13度、肌寒い。
彼らなりに種々興味を見せながらの時間だった。

帰路は播但道を使って、中途「道の駅」で再度食事。
メニュー選びだけでも二人の心はじゃれ合っている。

帰宅して、裏の川へバケツを持ち出して、小さな魚とエビとカニを捕っていた。
二人は期せずして『最初からこれやってたら良かったな』と。
都会ッ子ゆえに殊の外楽しかったようだ。

最低限のルールを守れば殊更管理をしない・・・自分の方針を確かめながら、私にとってこそ実に楽しい時間だったかも?
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今日は、孫の存在を知らぬ亡妻の誕生日なので、余計に自分の贅沢を思う。

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by tennkozann | 2018-08-21 09:16 | Comments(0)

お盆偶感

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膝を痛めてしまって正座の出来ない棚経(^^ゞも、ほぼ半分終わった。
僧侶になって一番多かった時期の三分の一くらいを、当時の倍以上の日数を掛けて回っているのだから楽なもの!と言いたいところだが、これが中々しんどいことにも楽なことにも慣れてしまうのが人間のようだ(^^ゞ

都市部の棚経は車で移動するので中途で種々考えることがある。

思えば、我々団塊世代が生きてきた時代は、大人になりかけた頃に高度成長が始まり、子育てが終わった頃にはバブルがはじけ・・・と云う時代。

丸35年の住職生活で、各檀家さんの変容(栄枯盛衰)を目の当たりに見て、誰もが知る平家物語の冒頭『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ』が、普遍の真理である等と云う事をつい思ってしまう。

しみじみ「人生はトータルなのだ」とまたぞろ思う。
人生はトータルで幸せにならなければ意味が無い。
若い頃のほんの一瞬、天下を取った気分を味わって、その後さんざんの後半生などと云うのは宜しくない。

人間模様・人生模様・・・僧侶にとってのお盆は、それを一気にまざまざと見せつけられる、そういう季節でもある。

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by tennkozann | 2018-08-10 17:45 | Comments(0)
多くの人が思い思いFacebookで報告をされている。
今日の私はのんびりブログに10枚の写真(13カット)。
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頂上のフェンスを開けるところで、振り返れば・・・煙?霧?

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二の丸を見上げる所(かつては石段もあったのであろうが・・・)日の出が近い。

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待ち遠しい日の出。

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赤い太陽が顔を見せた。

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肉眼でその周辺を確認できる赤い太陽・・・手のひらに乗せてみたり口にくわえてみたりという写真のお遊び。

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友達連れで登ってきた親子。
親子の心がじゃれ合っている。

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なぜか見飽きることの無い日の出。

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恒例の、林さん記念写真。
久下さん中心の頂上カフェがベンチの上に。

気づけば三の丸に森下さん・・・誰かが大声で「急げ!」と(笑)
三の丸から更に本丸まで走れる森下さんの体力に感心(^^ゞ

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夏休み・日曜日・・・賑やかな記念写真。

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2人のタブレットおじさん(林さん・竹村さん)・・・この2人は多分優に300日以上、夜明けをこの頂上で迎えられている。
約ひと月後には2000回に手が届く林さんは、およそ2000枚の記念写真をお持ちなのだろうか?

それぞれの予定に合わせて下山の始まるのが6時くらい。
その頃マイペースで登ってきているのは大槻さん・・・軽く7000回を超える猛者!

朝一番の「汗ビッショリ」
皆その爽快感を味わいながら下りていっている。

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by tennkozann | 2018-08-05 10:20 | Comments(0)

今度はアメリカ 孫達。

f0211225_16412985.jpg6月の中国に続いて、今月はアメリカへ直央家族が行っている。
中国のセミナーでは、技解説の『受け』を暁央がやっていたらしい画像を確認したが、今回はアメリカの子供達と一緒に準備運動している画像が確認できた。

珍しく直央とメールでやりとりしたが、当然のこととして「暁央や裕央の人格形成にプラスするものがあれば良いと考えている」旨を伝えてきた。

6月に万里の長城を訪れ、今回はシカゴの高層ビル群を見る事にも成るのだろうが、暁央や裕央はこの経験を通じて、本人達の意識しないまま、多分大きなスケールで且つ柔軟な考え方が出来るようになるのでは無いだろうか。
そう成ってくれればと思う。

直央のメールを読み、そして返信し、Facebookに載った暁央や裕央を見つつ、翻って、亡父は私をどのように育てようとしたか、そして其れに逆らい続けた私は、自分の息子にどのような接し方をしたか、更にその直央が今、2人の息子をどのように教育しようとしているのか?等々・・・種々思う所が少なくない・・・。



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by tennkozann | 2018-08-04 16:53 | Comments(0)

おかしな話だが

f0211225_20343006.jpg余りテレビを熱心に見ることも無いが、ここのところレスリング・アメフト・ボクシング等々、スポーツ及び教育関連の問題が噴出しているのを見て、種々思う所がある。

テレビのワイドショーの傾向として、一人をやり玉に挙げ出すと、一気呵成に各局が取り上げて、これでもか!と袋だたきを始める。

その論調をそのまま受け取っていると、取り上げられた人物は相当な「悪い奴」に見えてくる。

しかし、そういう取り上げられ方をするポジションに居ると云うことは、何はともあれその世界で際立った手腕の持ち主であったと云うことなのであろう。
そして一旦は、その世界に対して、余程の貢献があったと見做すべきでは無かろうか?

ただそれでも尚、人間は或る種の頂点を極めると、確かに晩節を汚すが如き事をやり出してしまうものなのであろう。

そもそも規模の大小にかかわらず、組織の頂点に 立つ者は、常によく諌言・直言を容れてきたプロセスを持っている(はずである)。
しかし彼は、頂点に立ってしばらくする と、誰の意見も聞き容れなくなる。
晩節を汚す者は常にそれ・・・・。

そんな事くらい充分わかっている筈の人間が、しかし似たような道を歩んでしまう。
不思議なほど哀れで愚かしいのが人間なんだと、それなりの頂点を極めた人間がその事を教えてくれる。

おかしな話だが、そのおかしな事が繰り返されている・・・。

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by tennkozann | 2018-08-02 20:35 | Comments(0)
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過日のバッハ交流戦では、ただ孫の勝ってくれる事を望むだけではない幾つかの学びがあった。
所詮素人判断ではあるが、セコンドの送るアドヴァイスが、なかなかの学びの対象であった。

今回の試合では「止めろ!」「止まれ!」の声を沢山聞いた。
寝技中心のブラジリアン柔術では、特に未熟な子供達はごちゃごちゃのもつれ合いになる事が少なくない。
しかし未熟とは言え、子供達は一つ一つの技は繰り返し練習している。

そうとすれば、ほんの僅かでも自分が有利な体勢を取れた場合、その体勢をより確実なものにさえすれば、そこから普段練習している次の技への移行の確度が上がる(はずである)。
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「止めろ!」「止まれ!」の声は、その事を示唆していたのでは無かろうか?

何につけ、その事の当事者は、意外な程「退(ひ)いて見る目」を失っているものである。
退いて見さえすれば、常に幾つかの攻めポイントがある。その事を古人は囲碁に関して「傍目八目(オカメハチモク)」と評している。

セコンドが、冷静且つ的確な指示を送ったなら、囲碁で言う「八目」の差が出るのである。

セコンドの退いて見たアドヴァイスが、ものの見事に的中して勝利を我が物とした、とそう判断できる戦いも行くつか見かけた。
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精神論的ないしは根性論的な叱咤や激励は、選手の身内ならそれでも良いだろうが、セコンドに付く指導者のするべき事では無いと私は思う。

これらの事は、何事か事業を推進する際にも、そのまま当てはまる事柄のような気がする。
なんと学習材料は至る所に転がっているものではないか!と私は思う。

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by tennkozann | 2018-08-01 09:13 | Comments(0)