曰く「部分ではなく全体を、短期では長期的視野、そして枝葉末節にとらわれないで本質を見る」は、実に言い得て妙である。
なぜなら思索の内容を質と量で押さえ、その量を時間と空間の二方面で押さえてあるのだから、まさしく三つの原則。
昨日丹波組ダーナの会の活動に関して、僧侶がそれぞれ自分なりの企画を持ち寄った。
そしてその主旨をそれぞれ発表するという会議だったのだが、それぞれの案をこの三つの原則に照らして吟味してみた。
部分をしか見ていない、長期的視野が欠落している、活動の本質を見すえていない…と切り捨ててしまいたいモノが少なくなかった。
ただの思いつきを思索の成果のように出されても、どうにも立ち位置が違いすぎて話にならないように思う。
かくなる上は、必要以上に発言しないよう「無言の行」を続けるばかりだ。
ただ、その「無言の行」が中々難しい(^_^;