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贅言とは 言うまでもなく 言う必要のない事・・である


by tennkozann

無言の行

無言の行_f0211225_07594114.jpg
東洋学の泰斗であるとか歴代総理の指南役などと呼ばれた安岡正篤先生が繰り返し語られた(らしい)思考の三原則。
曰く「部分ではなく全体を、短期では長期的視野、そして枝葉末節にとらわれないで本質を見る」は、実に言い得て妙である。
なぜなら思索の内容を質と量で押さえ、その量を時間と空間の二方面で押さえてあるのだから、まさしく三つの原則。

昨日丹波組ダーナの会の活動に関して、僧侶がそれぞれ自分なりの企画を持ち寄った。
そしてその主旨をそれぞれ発表するという会議だったのだが、それぞれの案をこの三つの原則に照らして吟味してみた。
部分をしか見ていない、長期的視野が欠落している、活動の本質を見すえていない…と切り捨ててしまいたいモノが少なくなかった。
ただの思いつきを思索の成果のように出されても、どうにも立ち位置が違いすぎて話にならないように思う。
かくなる上は、必要以上に発言しないよう「無言の行」を続けるばかりだ。
ただ、その「無言の行」が中々難しい(^_^;
# by tennkozann | 2024-02-14 08:02 | Comments(0)

リスク

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その男ひとまず人の話を聞き、適切に反応もする。
然し不思議な事に、彼は自分の意見を述べると云う事が無い。
その彼が、或る組織の長になった。
と言っても能力や手腕によって選ばれたのではなく、言わば順送り人事というやつである。
その彼が主宰する会議は,いつもダラダラと時間が過ぎるばかりだ。
その訳は、通常長たる者が断を下すべき所、その男は決断を人に任せようとするからだ。
私はその男を眺めて居てある事に気がついた。
そ奴は、自分に責任の発生するような事を極力避けるのだ。
だからこそ意見も言わない決断も下さい。
彼はリスク回避をして、確かに何かを守っているのかも知れない。
しかしそんな事で守っているモノは実に取るに足らないモノである。
其れよりも、その傍で彼は大きなモノを失っている。
一言で言うなら所謂「人望」というやつである。

過日、暁央は柔道部の卒部式だったそうだ。
そして卒部試合というのがあったのだそうだが、其れは三年生が後輩達の中から相手を選んで、試合をするというモノらしい。
その際、暁央は次期キャプテンで100㎏超級の相手を選び、そして1分30秒ほどで腕ひしぎ十字で一本勝ちをした。
体重差はおよそ30㎏、後輩とは言えキャプテンを務めるほどの相手と闘うのはリスクがある。
然し敢えてそのリスクを取ったところが良い。
勝利の瞬間本人も他の三年生も喜びを爆発させていた。
暁央は、キャプテンを務め終え、更にその最終局面で文字通り有終の美を飾ったと言って良い。
其れでこそ人望が備わり、言葉に力が加わってくるのだと思う。
本人は青春の一コマという程度の認識かも知れないが、私は彼の人生に大きく影響を与える出来事ではないかと考えて居る。
# by tennkozann | 2024-02-13 17:11 | Comments(0)
小遣いを貰ったのだそうだ_f0211225_17241861.jpg或る日亡父が私に向かって「お前も長州の血が流れているので、反骨精神の強すぎるところがある。気をつけた方が良い」とそんな事を言った。
長州の血?と一瞬怪訝な思いを持ったが、考えてみたら確かに祖父(乃至祖父以前)はれっきとした長州人。
それがなぜ丹波に住まいするようになったかは、話が長くなり余計な事でもあるので書かない事とする。

この御名号は、増上寺第79代法主・道重信教上人の御染筆であるが、祖父はこの人の教えを受けたのだと亡父から聞いた事がある。
確かに道重上人は安政3年(1856年)長門国でお生まれになっている。
今一休の異名で呼ばれていたと云う事は、多分浄土宗僧侶で知らない者は無い。
そして最も知られたエピソードは、関東大震災の際、飛行機に乗って空中から散華し、死者回向を行なわれたという話。

この特徴のある字を、上手下手という基準で評価するなら、さてどんな評価が下されるか?
ただ上手下手ではなく、名僧と呼ばれる多くの僧侶による御名号(南無阿弥陀仏)の中でこの字を拝見した際、そこに醸し出される雰囲気に「流石!道重上人」と感じ入ったモノがあった。
因みに亡父が大学生であった際、父親に言われて増上寺へ道重台下に会いに行った事があるのだそうだ。
その際・道重台下は祖父との絡みで、親しくお小遣い下さったのだそうだ。

亡父は何度か「増上寺の管長さんからお小遣いを貰った者は自分だけかも知れない」と嬉しげに話していた事がある。

# by tennkozann | 2024-02-11 17:28 | Comments(0)

威風堂々

威風堂々_f0211225_18101634.jpg古川大航老師の「福寿海無量」。書について何ほどの知識もない私が、この書を評するのに適切な言葉を探って呻吟する。

結果、威厳を備えた実に堂々たる風格、とでも言っておくしかないような。
同老師の禅画類は、或る種の飄逸さで独特の禅味を醸し出しているが、この書に飄逸という言葉は似合わない。
落款には米叟とあるから、齢88歳の時に書かれたもののようである。
米寿にてこの力強さ、そして品位を損なう事もなく堂々たる仕上がりと言うべきでは無かろうか。

大航老師は余程多くの書を揮毫されたのか、オークションサイトに出ているモノも少なくない。
そんな中でも際立っているように思い落札した。
言うまでも無い事であるが、床の間に掛けてみて実に見事に収まる。
さぁ!どんな口うるさい人でもどうぞ!ご覧下さい!と胸を張る気分に満たされる


# by tennkozann | 2024-02-08 18:11 | Comments(0)
褒美としてもたらされてくる_f0211225_15592766.jpg
かのニュートンは晩年、人に「あなたはリンゴの実が木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見されたのだそうですね」と言われると、決まって「私はその事を長く深く考えたのだ」と答えたのだそうだ。
以前何かで読んだ曖昧な記憶であるし、現にそういう会話があったのかどうかはひとまず調べようもないが、そのやりとりの示唆するところは大切な事だと感じた記憶がある。
抑も、アイディアだの発想だのと云うものは、軽く思いつくモノではない。
そしてまた、少し頭をひねったくらいで浮かんでくるモノでも無い。
深く・長く・強く思い続けて、その事に対して褒美のように「もたらされてくるモノ」が、アイディアであったりユニークな発想であったりするのだ。
少なくとも私の70有余年の生活で、私はそんな風に実感している。
深く・長く・強く思い続ける事も考える事もしない輩が、滝川さんはアイディアマンだからとか、そんな考え方思いつきもしなかっただ等と言うと、私は内心「愚かしい奴!、私はその事を深く・長く・強く思い続け考え続けたのだ」と呟いている。
私の周辺に、テーマを与えられて「何も思いつかない」などと繰り返し軽々しく語る輩がいる。
不快で仕方が無い!
# by tennkozann | 2024-02-05 16:00 | Comments(1)